コンサドーレ
《こぼれ球》札幌に息づく〝清水東魂〟
赤池保幸GKコーチ(49)の母校・清水東高の元監督・勝沢要さんが5日、85歳で亡くなった。勝沢元監督は1966年から87年までの間に4度、全国制覇を成し遂げた名将。赤池コーチが進学した時にはすでに監督を退任していたが「大事な試合の時とか、必ずいらして大切な言葉をかけてくれた」。8日の練習後、恩師との思い出を少し寂しそうに振り返ってくれた。
一番脳裏に焼き付いているのは、1991年時に地元・静岡で開かれたインターハイ。当時2年の赤池コーチもベンチ入りしていた。「選手だけのミーティングでは、暑いからちょっと省エネ的にやろう、と話していたんです」。しかし選手宿舎を訪れた勝沢元監督の口から出てきた言葉は「いや違う。1試合1試合全力で戦う。暑くてもやり続けるんだ」。結果は見事4度目のインターハイ制覇。「あそまで行けたのは、その言葉があったから」。恩師の訃報は、同期で静岡在住の札幌アカデミーサポートスタッフ・青山剛さん(49)さんから届いた。8日は練習があったため葬儀には参列できなかったが、思いは青山さんに託したという。
赤池コーチは1999年からアカデミーコーチを経て、07年からトップチームのGKコーチに就任。指導者になって、すでに25年が過ぎた。「すごく影響を受けましたね。30年以上前、それでも記憶に残っていますから。すごく雰囲気もあって、言葉に重みがあるんです。常に戦術の前に大事な強い気持ちとか、心技体の『心』を教えてもらった」。遠く離れた北の大地で奮闘する赤池コーチの姿は、きっと天国の恩師にも届いているはずだ。