中島卓也が語った『人生の先輩』田中賢介氏との思い出 「困ったことがあれば全部、答えをくれる」
■パ・リーグ10回戦 オリックス4ー5日本ハム(5月21日、エスコンフィールド北海道)
〝師匠超え〟の204盗塁をマーク 目標の一つをクリア
日本ハムの中島卓也内野手(33)が21日、オリックス戦の三回に二盗を決め、プロ通算204盗塁をマーク。師と仰ぐ球団OB田中賢介氏(43)の記録を抜き、シーズン前から掲げていた目標の一つをクリアした。
忘れられないプロ2年目のオフ
偉大な背中を追い続けてきた。2019年9月。その年限りでの現役引退を表明していた田中氏の引退試合が迫る中で、中島は球場のベンチに座り、ともに過ごした日々の記憶を思い返していた。真っ先に脳裏に浮かんだのは、プロ2年目のオフの出来事だった。
当時19歳。駆け出しだった中島は、チームの主力選手だった田中氏に勇気を振り絞って願い出た。
「同じ福岡県出身だし、プレーを見ていて一緒に自主トレへ行きたいと思いました。でも僕は1軍未経験。会話もしたことがなくて『許可してくれるのかな?』って、正直怖くて不安だったけど、自分の野球人生のためにお願いしました」
過酷を極めた自主トレ 「容赦なかったですよ」
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憧れだった同郷の先輩に懇願し、宮古島での合同自主トレは実現した。南の島では野球の技術以上に、フィジカル強化の重要性を叩き込まれた。日々繰り返される筋力トレーニングと大量の食事は、想像を絶するほど過酷だった。
「野球の技術練習よりもトレーニングの重要性を一発目に叩き込まれました。僕はあまり好きではなかったけど(笑)。ウエートでは重りを一気にガンッって上げられて、苦しかった思い出しかない。とにかく憂うつでした。食事も僕がメニューを選んだら、賢介さんが追加で頼んで、隣で食べ終わるまで見ている。容赦なかったですよ。でも、こうやって野球を続けられているのは、宮古島での自主トレが良かったんだと思います」。シビアな運動と栄養指導により、短期間で5キロの増量に成功。プロ野球選手としての土台は築かれた。
2012年から1軍定着 15年には夢の二遊間
2011年に1軍初出場を果たした中島は、翌12年から1軍に定着した。田中氏がメジャー挑戦から帰国した15年には、入団時からの夢だった二遊間を組み、鉄壁の守備網を構築。ともにベストナインに選出された過去を懐かしんだ。
「個人的には初のベストナインに盗塁王も取れたシーズン。表彰式にはファイターズの選手が何人かいて、一緒に行けたことがうれしかったです。でも、本当はゴールデングラブ賞も賢介さんと2人で取りたかったので、そこだけは悔しかったかな」
プライベートでも多くを教わった
グラウンドを離れても学びは多かった。プライベートでは大人のたしなみも教わった。
「僕は宮古島で初めてお酒を飲ませてもらいました。二十歳になった1月11日の0時ちょうどに。ビールか泡盛だったけど、おいしくなかったです(笑)」
今も昔もリスペクトする「人生の先輩」
ストイックに野球と向き合う姿から、大きな刺激を受けてきた。「賢介さんは短い時間で、いつも内容の濃い練習をしていた。量も大事だけど、質はもっと大切。休みの日でも鎌ケ谷へ行く賢介さんの姿を見てきたので、自分もやらないといけないと思わされました」
長い時間を共有し、プロ野球選手としてのイロハを教わった。北海道移転後のファイターズ黄金時代を支えた男を、中島は「困ったことがあれば全部、答えをくれる。僕にとって賢介さんは、人生の先輩」と表現した。