【青春の1ページ】~F戦士が高校時代を振り返る~ 福島蓮投手
第5回は売り出し中の育成出身大型右腕
どんなプロスポーツ選手にも、色あせることのない〝青春の思い出〟がある。道新スポーツデジタルでは、アスリートの高校時代にスポットを当て、「青春の1ページ」と題して連載する。第5回は、青森・八戸西高出身の日本ハム・福島蓮投手(21)。センバツ甲子園出場が決まった時のエピソードや、高3夏の苦い記憶などを振り返ってもらった。
ご飯食べるのめっちゃ遅いんです
―高校時代の1日のルーティンは
「朝、6時ぐらいに起きて、シャワーを浴びて、普通の朝ご飯を食べて、7時ぐらいに家を出ていました。お父さんが職場に行く道の途中に学校があったので、よく車で送ってもらっていました。8時10分からホームルームだったんですけど、7時半ぐらいには着いてましたね。月、火、水曜日は7時間授業。月曜日は練習がオフでしたが、火、水曜日は(午後)4時半ぐらいからグラウンドに出始める。僕らの学校は7時10分までに帰らないといけなかったので、練習はアップを含めて2時間ぐらいでした。6時半には練習を終えて、ミーティングをして、すぐ帰る。木、金曜日は6時間授業なので、1時間早く練習を始める感じですね。帰りは、お父さんと時間が合えば車に乗せてもらって、8時前に家に着く。家に帰ったらご飯を食べるんですけど、僕、めっちゃ食べるの遅いので、すごく時間がかかりました。1時間半ぐらい余裕でかかっていましたね。その後お風呂に入って、11時前ぐらいに寝る。自主練は家に帰った時に、外でたまにシャドーするぐらいですね」
中学で学年5位も「高校で両立は無理」
―八戸西高は勉強にも力を入れている。得意科目は
「うわー、ないぞー(笑)。成績、ひどかったので。基本、赤点ギリギリです。なんなら赤点も取ってました。文系80人中、79位。数学は無理、英語も無理、まあ社会、日本史ならギリ。暗記は気合でなんとかなるので。考えるのは無理です。中学校までは、頭良かったんですよ。学年5位とか。高校で両立は無理でした」
赤点の悲劇 晴れ舞台でまさかの…
―赤点で野球に支障は
この記事は有料会員限定です。
登録すると続きをお読みいただけます。
「それ、聞いてほしいんですよ。僕、(3年春の)センバツ甲子園に出たんですけど、センバツの出場校発表の日、1月29日だったと思うんですけど、3学期のテスト前だったんです。僕は2学期の期末テストで赤点を取っていて、そのせいで補習があった。赤点を取った僕が悪いので、補習は当然だと思うんですけど、センバツの発表ってみんなで集まって、校長先生に電話が来て、わーっ! みたいなのがあるじゃないですか。僕、補習でその場にいられなかった。交渉したんですよ、出させてくださいって。でも、おまえが赤点を取ったのが悪いと。一通り盛り上がった後の取材だけ、受けました。だから、帽子投げてないんです。出たかったなー。みんな泣いていたらしいんですけど、僕はめっちゃ数学の勉強をしていました(笑)。親からもなんでいないのって、いじられました。秋(の大会)は、ほぼほぼ投げて(センバツ出場に)結構、貢献したんですけどね(笑)」
―高校時代の一番良い思い出は
「やっぱり、そのセンバツじゃないですかね。行けたのはいい思い出です。(甲子園での)試合内容は全然ダメでしたけど。大阪に入ってからの期間は楽しかったです。練習試合とかで2週間ぐらいいて、次の日投げない夜は、誰かの部屋で遊んだり」
最後の夏 準々決勝で逆転サヨナラ負け
―一番の苦い思い出は
「最後の夏、青森の予選で、西武の黒田がいる八戸工大一高に逆転負けしたことです。八回まで5点差で勝っていたんですよ。ひっくり返されて負けました。それはきつかったですね。本当に負けたくない高校だったので。黒田もいるし、バチバチだった。あっちはどうか分からないですけど、僕らがライバル視していました。1年生大会でも逆転負けして、2年生の秋に大勝して、1勝1敗。最後の夏、絶対負けたくなかったのに、準々決勝で負けた。5点差の八回に4点取られて、九回にサヨナラ負け。マジで悔しかったです。最後は犠牲フライだったので、カバーに行って、うわー、終わったーと。でも、なぜか泣かなかったですね。みんなは泣いていましたけど」
―引退後はどう過ごしていたか
「1、2日後にはもう練習していました。プロ志望届を出すことは、春の時点で決めていたので、どこかにかかれば良いなと思っていました」
休みは野球部の友だちと遊んだり
―休みの日の過ごし方は
「月曜日、授業が終わって、普通に家に帰るか、友だちとどこかに遊びに行くかですね。ご飯に行ったり。野球部とばっかり遊んでいましたね。何してたかなー。ご飯食べるぐらいですかね。友だちの家に行って遊んでから、ラーメンを食べたり。たまに映画に行ったり」
2個上の先輩にもタメ口!?
―八戸西の独自のルールは
「ないですねー。先輩後輩もめっちゃ緩くて、だいたいタメ口です(笑)。2個上の先輩にもタメ口でいっていました」
300メートル10本走ったら調子良くなった
―きつかった練習は
「1年生大会の時に、初戦が僕らの高校のグラウンドで開催だったんですけど、その日に監督から、前に配られていたファイルを持ってこいと言われていたんです。スタメンは前の日に発表されていたんですけど、僕も含めて、そのスタメンがほぼファイルを忘れた(笑)。そしたら、忘れたやつ全員スタメンを外れて、隣に陸上部用の300メートルのトラックがあったので『おまえら、そこを10本走ったら戻って来い』と。それで、10本走ってから試合に出たのはきつかったです。相手が(強豪の八戸学院)光星なんですよ。勝てるわけないじゃないですか(笑)。でも、300メートル10本走って戻ったら、もう試合は始まってて、いい試合していたんですよ。次の回から行くぞって言われて、そしたらなぜか、調子がむちゃくちゃ良かったんです。めっちゃ抑えちゃって。そしたら、『おまえ、走った方がいいな』となって、その後の練習試合も公式戦も、試合前に300メートル10本走ることになっちゃいました(笑)。ピッチャー陣だけ、朝早く来て、アップ前に走って。高校1年の秋からずっとです」
今でも仲はいい たまに集まったり
―当時のチームメートとは今でも仲が良いか
「仲いいですね。関東にも結構、来ているので、たまに集まったりしています」