94年夏の甲子園では8強入り
甲子園開業100周年の節目となる今夏の甲子園大会で、北海高校の監督として1994年夏の甲子園8強入りするなど春夏6度の甲子園出場に導いた大西昌美さん(67、北星大教授)が、日本高野連から「育成功労賞」を受賞することが決まった。受賞の感想と、現在高校球界で指導者として活躍する教え子からの祝福メッセージを紹介する。
コーチ時代を含め約13年指導
母校の東京・日本学園で監督を5年、北海ではコーチを含めて約13年の指導が高く評価された。「表彰されるのは選手のおかげ。監督って良い選手はつくれないけど、選手は良い監督をつくれるんですよ、結果で」。昨年12月に札幌市内で行われた北海高野球部創部120周年記念式典では、大西さんの元にかつての教え子が列をなした。
88年の選抜甲子園で初陣1勝
1901年創部。それまでの歴代監督はみな同校OBだったが、初の〝外様監督〟は就任時から新風を吹き込んだ。88年の選抜甲子園で初陣1勝し、89年南北海道大会は1回戦から決勝まで4試合を通して無失策。決勝の駒大岩見沢戦は4-0で下し、3季通じて就任初優勝を遂げた。その4点中の3点はスクイズで1点が押し出し四球と、適時打0本でも勝利できることを証明。緻密な野球を土台に築き上げた〝大西野球〟が花を咲かせた。
甲子園のために北海道行きを決断
86年秋の監督就任当初は、風当たりが強かった。その2年前、母校で事務職員として監督を務めていた大西監督に日本体育大・上平雅史監督から「北海道に行く気あるか?」と教員採用の打診があった。「北海は大変に古い学校だっていうことは知っていた。高校野球5年間やったって右も左も分からなかったけど、甲子園に行きたかった。高校生みたいに。甲子園で野球がしたい」。大きな夢を抱いて、創立100周年を迎える北海に赴任した。
初陣での敗戦に罵声と空き瓶が投げ込まれたが選手たちの姿に…
1年目は海野明弘監督の下でコーチを務め、翌年秋、29歳の若さで監督に就任した。日本学園の監督時代には西東京大会決勝まで進出した経験もあったが、北海での初陣となった秋季札幌支部2回戦は札幌第一と引き分け再試合の末に2-6で敗退。グラウンドにはスタンドから「東京に帰れ!」という罵声と共に、空き瓶などが投げ込まれたという。
当時部長を務めた故・杉本和紀先生から「今、球場を出たら危ないって」と制止され、観客がいなくなるまで球場に缶詰になった。ただその試合で、罵声を投げかけたスタンドの観客に向かっていった選手たちの姿を見て「それがうれしくて。火がついたね」と、これまで以上に本腰を入れて指導に取り組むようになった。
基本を大事に冬は座学で戦術注入
練習は基本に忠実。試合前のボール回しだけで相手を圧倒するほどだった。グラウンドが使えなくなる冬は筋トレに加え、座学でルールや戦術を叩き込んだ。日本ハムの新庄監督が多用して話題となったダブルスチールも大西監督の得意技だった。走者が一、三塁の場面で一走が盗塁するフリをして転んで投手の注意を惹いたり、走者が三塁にいて打者が四球で一塁到達時に、そのまま一気に二塁を狙うなどバリエーションも豊富だった。
「相手の虚を突く、意表をつくようなこと。別に汚いプレーじゃないので。それは日本学園のおかげなんですよ。だって球場が狭いんだもん。セカンドの後ろがもう木。そのダイヤモンドで野球するしかなかった」。恵まれない環境を逆手に取り、見いだした戦法だった。
「杉本先生と一緒にもらってるようなもの」
北海の監督時代、外部の雑音に盾となってかばい続けたのが杉本部長だ。「何かするのに、ダメって言われたことはない。杉本先生がいなかったら無理。もう100パーセント、杉本先生のおかげ。今回の表彰は杉本先生と一緒にもらってるようなもの」。21年に78歳で逝去された名物部長へ感謝の思いも一緒に、最後に甲子園に出場した96年以来の聖地へ足を運ぶ。
野球は映画やオーケストラと一緒
監督をする上で、杉本部長の次に大きな存在だったのは「マネジャーがみんな良かったね」。自身も日体大3年進級時に学生コーチに転身した。「映画とか、オーケストラと一緒でさ、みんなが指揮者になりたいと言ったら映画なんかできねぇじゃん。やっぱり裏方がいないとダメじゃない」。ただ、それは選手としては戦力外通告とイコールだった。
「大変だったよ。選手はダメだっていうことだから、マネジャーやれって言われた時、すごいショック。もう野球なんか二度とやらないと思った」。時には監督と選手の板挟みにもなるなど、自らの苦い経験からマネジャーを引き受けてくれた部員への信頼は厚かった。
大西野球の信奉者は数多く存在
現在は北星大で社会福祉学部の教授を務める。野球指導に関わる研究をしているが、部活動には関わっていない。北海道に来て今年で40年目。人生の大半を北海道で過ごすとは、当時は想像もしていなかった。自らがバトンを渡した北海・平川敦現監督(53)を始め、日体大や北翔大時代の教え子も含め、少年野球から大学、社会人の指導者まで、大西野球の信奉者は数多く存在する。
勝っても負けても「まだまだ」
「北海のおかげで大学の先生になれたんだよ。甲子園も何も出てなくて、無名でいたら大学の先生になれていませんよ。これは指導に関して評価してくれているので、選手のおかげ」。指導者時代は勝っても負けても「まだまだです」が口癖。「人生で満足ってある? まだまだでしょ? 野球だって優勝したって、まだまだ全然っていうのあるよね。それがなくなったら終わりだって」。穏やかな笑みを浮かべながら語る、どこまでも謙虚なその姿勢に人を惹きつける魅力が詰まっている。
■プロフィール 大西 昌美(おおにし・まさみ) 1957年2月28日、東京都生まれ。日本学園高校から日本体育大学へ進学。卒業後、母校の日本学園高で監督を務めて3年目の81年に西東京大会決勝に進出した。1985年4月に北海高の保健体育教諭として赴任。コーチを経て86年秋に監督就任。甲子園には88年の選抜で初出場して1勝を上げた。94年夏の8強入りなど春夏通算6度出場して4勝6敗。94年国体で優勝し、97年秋で勇退。98年4月から2年間、日体大の監督を務め、2002年4月に浅井学園大(現・北翔大)監督に就任。総監督含め18年限りで勇退するまで4度リーグ優勝を成し遂げた。趣味は日曜大工。家族は妻と愛犬。
高校球界で指導者として活躍する教え子から祝福メッセージ
・北海高(1985年春~97年秋)の卒業生
■札幌国際情報・有倉雅史監督(57)
「この度は育成功労賞おめでとうございます。18歳の時に大西先生に出会い人生が変わりました。野球の奥深さ、素晴らしさ、楽しさ、指導者としてあり方、野球に対する全てを学ばせていただきました。大西先生は今も私の目標です。少しでも近づけるように、これからも頑張っていきたいと思います」
■北海・平川敦監督(53)
「この度の育成功労賞受賞おめでとうございます。先生には、人としてそして野球の基本や大切にしなければならない事を数多く教えて頂きました。本当に感謝しております。これからもお身体に気をつけ、我々教え子たちを見守って欲しいと思います」
■千歳・渡辺貴友監督(51)
「育成功労賞の受賞、心よりお祝い申し上げます。長年にわたって北海道の高校野球の発展にご尽力され、実績が高く評価されたことをうれしく思います。北海道の高校野球がレベルアップし、全国で活躍できるようになったのは、大西先生のご尽力、ご苦労があったからだと思います。高校野球はもちろん、北海道のアマチュア野球ならびに指導者に与えた影響は計り知れません」
■釧路工業・中村昭和監督(49)
「この度は誠におめでとうございます。大西野球はただ勝てば良いのではなく、勝利にふさわしいチームであるかが大切だと考えます。フェアプレーで堂々と戦う事を教えて頂きました。また大西先生と野球がしたいです」
■岩見沢農業・大矢塁監督(47)
「この度は功労賞受賞、誠におめでとうございます。11年間という短い期間で残された功績は偉大過ぎます。野球人として、一社会人と して尊敬の念が堪えません」
■札幌工業・佐藤友貴監督(48)
「大西先生の下で野球の奥深さを知り、自分の無学さを知りました。今も学びの日々です。ボール回し、最高です!育成功労賞受賞、本当におめでとうございます」
■遠軽・小田聖人部長(42)
「大西先生から高校球児としてご指導いただいたのはわずか半年間でしたが、先生の教えは現在の私の高校野球指導の原点となっております。大西先生の北海高校野球部最後の教え子として今後も精進してまいります」
■札幌学院大卒業後、時間講師として1年間コーチを務めた札幌龍谷・寺西直貴監督(53)
「今でも指導者を続けていられるのは、当時の大西先生の教えがあったからです。指導者としての考え方、心構え、大西先生と一緒にやらせて頂いたことをブレずに大切にしています」
・日体大(1998年春~99年秋)の卒業生
■札幌光星・合坂真吾監督(47)
「就任当時、私は北海の大西監督は知っていましたが、ほかは誰?って感じでした。一緒にボール拾いをするなどして、徐々に他の選手の見方も変わっていった。弱くても勝てるんだと教えてもらった。私も180度野球に対する考え方が変わりました。もうらべき人がもらったと思っています。教え子として嬉しく思います」
■旭川北・野村明史監督(47)
「受賞おめでとうございます。先生に教わった勝利に向けての知識と情熱を、自分の教子たちに全力で伝えていきます」
■札幌北陵・有沢勝利部長(46)
「大西先生には、大学2年間ご指導をいただきました。弱者が強者に勝つ方法、環境整備、グラウンド内外での振る舞いなどを教えていただき、その時のノートは今でも大切にしています。私の今日があるのも大西先生のおかげです。大学時代に先生と出会えたことに心から感謝しております。この度の受賞、本当におめでとうございます」
・北翔大(浅井学園大、2002年春~18年秋)の卒業生
■北海道栄・加藤功臣部長(39)
「この度は表彰の栄に浴され、誠におめでとうございます。長年にわたるご努力に敬意を表し、心より祝辞申し上げます。謙虚な気持ちを忘れず物事に取り組みなさいという言葉は、現在の指導に生きています」
■函大柏稜・野村直毅監督(32)
「大西先生、受賞おめでとうございます。細かな野球、そして野球の真髄を教えて教えて頂いたことは今でも自分の糧となっております。これからも野球の発展にご尽力よろしくお願い致します」
■紋別・江副翔太部長(28)「大西先生、この度は、おめでとう御座います。私も大西先生の様に常に先を考え、物事を探究し続けられる人になれる様、精進致します」