高校野球
2024/06/13 10:00

北海を春夏6度の甲子園に導いた大西昌美前監督が日本高野連から育成功労賞受賞(祝福メッセージ付き)

日本高野連から「育成功労賞」の受賞が決まった北海前監督の大西昌美さん

94年夏の甲子園では8強入り

 甲子園開業100周年の節目となる今夏の甲子園大会で、北海高校の監督として1994年夏の甲子園8強入りするなど春夏6度の甲子園出場に導いた大西昌美さん(67、北星大教授)が、日本高野連から「育成功労賞」を受賞することが決まった。受賞の感想と、現在高校球界で指導者として活躍する教え子からの祝福メッセージを紹介する。

コーチ時代を含め約13年指導

 母校の東京・日本学園で監督を5年、北海ではコーチを含めて約13年の指導が高く評価された。「表彰されるのは選手のおかげ。監督って良い選手はつくれないけど、選手は良い監督をつくれるんですよ、結果で」。昨年12月に札幌市内で行われた北海高野球部創部120周年記念式典では、大西さんの元にかつての教え子が列をなした。

94年夏の甲子園で北海ナインと会話をする大西昌美前監督(中央)

 

88年の選抜甲子園で初陣1勝

 1901年創部。それまでの歴代監督はみな同校OBだったが、初の〝外様監督〟は就任時から新風を吹き込んだ。88年の選抜甲子園で初陣1勝し、89年南北海道大会は1回戦から決勝まで4試合を通して無失策。決勝の駒大岩見沢戦は4-0で下し、3季通じて就任初優勝を遂げた。その4点中の3点はスクイズで1点が押し出し四球と、適時打0本でも勝利できることを証明。緻密な野球を土台に築き上げた〝大西野球〟が花を咲かせた。

甲子園のために北海道行きを決断

 86年秋の監督就任当初は、風当たりが強かった。その2年前、母校で事務職員として監督を務めていた大西監督に日本体育大・上平雅史監督から「北海道に行く気あるか?」と教員採用の打診があった。「北海は大変に古い学校だっていうことは知っていた。高校野球5年間やったって右も左も分からなかったけど、甲子園に行きたかった。高校生みたいに。甲子園で野球がしたい」。大きな夢を抱いて、創立100周年を迎える北海に赴任した。

初陣での敗戦に罵声と空き瓶が投げ込まれたが選手たちの姿に…

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