04年駒大苫小牧の甲子園初制覇から20年 興南・我喜屋監督が白老町の講演で香田元監督との秘話語る
駒苫V1の陰に同氏の助言あり
大昭和製紙北海道の元監督で、現在は沖縄・興南高の我喜屋優監督(73)が6月7日、白老町で講演会を行った。現役時代の1974年に社会人の都市対抗野球で北海道勢初の優勝を経験し、指導者としても2010年に同校の甲子園春夏連覇に導いた名将が、04年夏に北海道勢初優勝した駒大苫小牧・香田誉士史監督(53、現・駒沢大監督)との意外な接点も明かした。
白老町制施行70周年&社会人野球初全国制覇から50年
社会人野球の全国制覇から50年の節目と白老町制施行70周年を記念して町が招待。同町観光大使も務めている我喜屋監督が、部員を伴って来町するのは10年の夏合宿以来となる。翌8日には日本製紙白老球場で駒大苫小牧、北海道栄と招待試合を行う。今回の遠征では部員27人を帯同。夏の支部予選に向けてメンバーの絞り込みを兼ねた大事な2試合だが、駒大苫小牧を率いる佐々木孝介監督(37)との対戦には久しぶりの再会に声を弾ませた。
冬も除雪して屋外練習が結果へ
大昭和製紙北海道に移籍してきたとき、冬はグラウンドを除雪してバットを振って練習していたという。冬のハンディを克服し、見事に全国制覇を成し遂げた。現役引退後は同部の監督を務め、93年の休部後も後継チームのヴィガしらおいで監督を歴任した。
香田元監督へ「ダメ出し1000回ぐらいした」
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当時、「北海道に来て3、4年目の香田監督が『半年間、冬でどうしようもない』」と、どうやって雪国の小さな町のチームが日本一になったのか、教えを請いに来たという。今では除雪しての練習が当たり前になったが、その時代の駒大苫小牧はまだ室内での練習のみだったと言い、「ダメ出し1000回ぐらいした記憶がありますね。私は雪の中でもコツコツできた。ダメだっていう壁を取り払う。『仕方ない』を『仕方ある』に。(助言したら)そういう野球を駒沢がやったんです。いまはもう当たり前なんですね」。駒大苫小牧V1から30年前に日本一を成し遂げていた〝先輩〟の助言が、躍進のきっかけを与えた。
北海道と沖縄をつなぐ架け橋に
さらに駒大苫小牧が全国制覇した背景には、冬に沖縄で合宿を敢行していたことも影響したという。「興南のグラウンドも人工芝に変わったので、北海道のチームもぜひ来てほしいですね。いつでもすぐに仲間を集めてやりますよ」。北海道と沖縄を野球でつなぐ橋渡しをこれからも続けていく。
■プロフィール 我喜屋 優(がきや・まさる) 1950年6月23日生まれ、沖縄県出身。沖縄・興南高3年夏の甲子園に、主将で4番として出場。県勢初の4強入りに貢献した。卒業後は社会人野球の静岡・大昭和製紙に加入。72年に白老町の大昭和製紙北海道に移籍。元横浜ベイスターズの村上忠則さんや、都市対抗で当時最多本塁打の記録を持ち「ミスター社会人」と呼ばれた高梨英夫さんらと共に、1974年の都市対抗野球で北海道勢初の全国制覇を成し遂げた。現役引退後は監督も務め、チーム解散後は後継チームのヴィガしらおいでも指揮を執った。2007年に母校の監督として帰郷。わずか3年後の10年選抜甲子園で、沖縄県勢として初優勝。さらに史上6校目の春夏連続Vを成し遂げた。11年から母校の理事長と校長も兼任。