’04夏の甲子園13-10の決勝を回顧㊥「先輩たち全員の手紙を読んだ」駒苫・佐々木監督×済美・鵜久森氏対談
当時の駒苫イケメン主将と日本ハム元大砲がスペシャル対談
2004年夏の甲子園決勝を振り返る駒苫・佐々木監督×済美・鵜久森氏の「’04夏の甲子園決勝20年目の真実」第2回は3-5で済美2点リードの四回から六回までをお届けします。さらに、話が脱線して明かされた決勝以外の秘話も…。先輩たちの手紙を試合前に読んだ2回戦の長崎・佐世保実業戦の初勝利、香田監督の初スクイズのサインや、鵜久森さんの県大会での話、佐々木監督が2011年に上甲監督と再会した時の秘話など、今回も充実の内容です。(以下、敬称略)
見逃し三振「たぶん(上甲)監督ブチギレてた」
【四回表】
―1死走者無しで鵜久森は見逃し三振
鵜久森(以下、鵜)「たぶん監督ブチギレてた。やべ、もしかしたら監督に殴られると思ってた」
―2死から済美・西田捕手の打球が、駒苫・佐々木遊撃手の後方へ。これを背走で追いかけスライディングキャッチ。決勝戦で両チーム最初で最後の3者凡退
佐々木(以下、佐)「唯一の3者凡退ですか?」
鵜「逆(駒苫)、ないじゃん。福井どんだけ打たれてんねん」
「ただ走ったら捕ったっていう感じ」
―遊撃手は内野の花形
佐「僕の後ろにセンターとレフトがいるじゃないですか。僕、結構うるさいから、たぶん捕れたと思うんすよ。でも僕が走ってくるから、ただ避けたっていうだけ(笑)。センターが捕ってくれるとかも思ってなくて、ただ走ったら捕ったっていう感じ。おぉ、捕れたよって感じでしたね」
佐々木主将の2点中前打で逆転6-5
【四回裏】
―好守で流れは2点差を追う駒苫へ。先頭の9番・五十嵐三塁手が初球を右越え三塁打。1死から澤井義志右翼手の左越え二塁打で1点差に追い上げると、2者連続四死球で1死満塁。糸屋捕手の鋭い遊ゴロは、2走・林にあたり守備妨害。2死満塁で打席には佐々木主将。すると中前への2点適時打で、ついに6-5と試合をひっくり返した
佐「めっちゃ覚えてます。守備妨害で、あーっていう変な流れみたいになって」
鵜「このセンター前ってさ、結構いい当たりで、ショーバンぐらいじゃないかな。甘井がはじいた気がする、ぽとっと。孝介がひっくり返したんだ。そうなんや」
済美は初めてリード許し「結構まずいな」
―四回を終えた時点で、駒苫はすでに10安打。済美としては、この時初めてリードを許した
鵜「結構まずいなって思いましたよ。ただ、まだ序盤なので、まだ回があるっていうぐらいですけど、5-1でひっくり返されることって大会ではそもそもない。逆に上甲さんにずっと言われてたので。もし先に点取られても、逆転できるチームじゃないと甲子園では絶対勝てないって。大体いつも逆転するとか、先に取っていくとかっていうことが多かったんで、結構まずいと思いました」
済美・福井の適時二塁打で6-6同点に
【五回表】
―済美は福井の適時二塁打で1点を加え6-6でグラウンド整備へ
鵜「なんか振り出しだなって感じだった。6-6。どう転ぶか、まず分からない。果たして福井、最後までもつのかって。序盤に思ったように、甲子園全体が済美じゃないなっていう感覚が、まず一番良くなかった。球場全体が、ということはそれまでなかったんで、なんか飲まれてる感じはあった」
佐「俺らも一緒だった。ヤス(鈴木)はもう、ヘロヘロだったからね」
駒苫は再び3失点で6-9「ほら来た」
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【六回表】
―先頭の小松右翼手のソロアーチで勝ち越し。無死一塁から鵜久森の打球は、三塁手の頭上を越える適時二塁打。さらに1点加えて6-9と再び大きなリードを奪う。駒苫ベンチの雰囲気はどうだったか?
佐「僕ら1-5からまくったじゃないですか。でも絶対また来るからってずっと言ってた。(済美が)絶対打ってくるからって言ってて、六回にいきなりホームランですよ。ほら来たって思いましたよ」
鵜「小松ね、済美打線の中で一番いいバッターって言われてた。追いつかれて、また3点取って。正直もう六回で3点リード取ったら結構、点差は開いてると思うんですよ。だいたい勝ちますよね。だから、もうこっちの流れが来たなと思いましたけど」
鵜久森が外角球を三塁手の頭上越える強烈打
―鵜久森のバットスイングは1人だけ飛び抜けていた
佐「すごかったっすよ。サードの頭の上を抜けていった二塁打。外のボールなんです。あれがものの見事にそっちに行くんで、びっくりしました」
―続く西田捕手の中前打で三走が生還して2点リード。ここで二走の鵜久森は一気に本塁を狙ったが、桑原佳之中堅手の好返球で本塁憤死
鵜「ホームでアウトになった場面、2つぐらいなかったですか? 監督ブチギレてた。三塁コーチャー、あいつやばいんちゃうって雰囲気がありましたね。終わった後に、俺も戦犯って言われたけど、あいつも戦犯ってよく言われてた。なんで無理に回したのって。結局、タラレバになっちゃうんだけどね、野球は。ああいうことが起きちゃうと、流れが止まっちゃうよね」
7割男・糸屋捕手が特大2ラン
【六回裏】
―再び勝ち越されても駒苫打線はひるむ気配はない。無死一塁から糸屋捕手が左翼の鵜久森の頭上を越える特大2ラン
佐「糸屋は良いピッチャーほどホームラン狙ってて、そこまでスピードのない投手は、逆方向に打ってる感じ」
鵜「この大会、結局糸屋って何割打ったんだっけ?」
佐「7割。すごかったね。僕、ネクストでしたけど、もうびっくりした。香田監督のサイン見てて、流れはいつもバントしていたので、えっ、打たすの? って思ったら、いきなりホームランだった。スゴって思って、ハイタッチして。俺もいったろうかなって思ったら全然…」
済美・福井が右翼に 2番手・藤村に継投
―佐々木主将は四球を選び無死一塁。ここで済美は先発の福井優也投手を右翼へ下げ、2番手の藤村昌弘投手をマウンドへ
鵜「藤村、ここで投げるのつらいなあって思いながら見てました」
―犠打と三振で2死二塁で五十嵐三塁手が驚異の粘りを発揮。フルカウントから5球連続でファウルで粘って12球目を左前へ。二走の佐々木主将が生還して9-9。シーソーゲームのまま七回へ
鵜「六回で3点取られて、その裏に3点取るチームって…。甲子園決勝だよ?」
~いよいよ試合は終盤戦へ。その前に決勝以外の秘話も~
愛媛県大会決勝は打てなかった
―済美は2002年に女子校から男女共学になった直後。強さの秘密は?
鵜「上甲監督の経験というか、メンバーはピッチャー以外全員愛媛県。僕は夏の愛媛県大会決勝の大事な場面で打てていない。四、五回かな、交代させられかかったんですよ。当時バッティングコーチの竹本さんは上甲さんと同級生。当時、引っ張りだったんで、鵜久森シフトがあった。ことごとく引っかかって打てなかった。決勝の大事な場面で打てなくて、上甲さんが『鵜久森代えるぞ』って。竹本さんが『4番代えたら絶対流れが変わる』って、打てなくても置いておけ、と。それが結果勝って今回の夏だった」
佐「僕一度、済美に行ったんですよ。2011年に試合させてもらって、あれが最初で最後だったんですけど、上甲さんからユニフォームくれって言われて、その場で着ていたユニホームをプレゼントしたら、すぐに監督室に張っていた。やり返す、みたいな気持ちを持っていたいのだろう、と。7年たっていましたが、忘れたことがないと言われた」
鵜「孝介が香田監督をそう見ているように、上甲監督もめちゃくちゃ負けず嫌いだった。負けず嫌い同士の戦いなんだなって」
両監督ともに〝超〟負けず嫌い
―佐々木監督が考えている駒苫野球、全国のチームの中で頂点まで行けた強さ、どこが違った
佐「前の年が一番大きかったと思う。あとは我喜屋さん。1年秋ぐらいから来られて、雪上ノックだとか。独特の感性で物事を伝える。普通にネットに投げる送球も、その先に人がいると思って投げろとか、すごかった。香田さんもそういう感覚を持っていた」
前年は降雨ノーゲームからの敗戦
―1年前の再試合。二回までに8-0でリードも降雨再試合で6-8で敗戦
佐「あれはすごく大きかった。香田監督が一番(悔しいと)思っていたんじゃないかな。あれがなかったら絶対優勝はなかった。帰って来てからまだ高2。いけると思ったら鵡川が勝って。神宮大会で、甲子園でも勝って。身近に強いチームが出てきて、自分たちも負けてられないぞって。なおさらいい感じになった」
―そして長崎・佐世保実業戦で甲子園初勝利
佐「(再試合で負けた)先輩たちの手紙を試合前に読んだ、ということがあった。全員の手紙を。取ってあります。試合は、あれが一番重たかった。(打線がつながらず)いきなり初打席スクイズ。香田さん、それまでスクイズ(のサイン)出したことなかった。最初が僕」
準決勝の先発が伝えられた夜
―準決勝の山梨・東海大甲府戦で松橋拓也投手が先発したとき、鈴木投手が怒っていた
佐「前の夜に香田監督が僕と岩田と鈴木と、誰かもう一人呼んで、明日の先発は松橋でいこうかと言うと、みんな『エッ?』って。あの2人(岩田と鈴木)、どっちも投げる気満々だった」
《㊦に続く》