当時の駒苫イケメン主将と日本ハム元大砲のスペシャル対談最終回
2004年夏の甲子園決勝を振り返る駒苫・佐々木監督×済美・鵜久森氏の「’04夏の甲子園決勝20年目の真実」最終回は9-9で迎えた七回から、ラストシーンまでを振り返ります。
九回最後の打席で鵜久森淳志さん(37)の打った最後の打球は、遊撃を守っていた佐々木孝介監督(37)がキャッチしてゲームセット。もしあの打球が同点の本塁打になっていたら…? 2人にはその後の展開を想像してもらったほか、2人の歩んできたその後の20年についても話してもらいました。
佐々木監督は母校の指揮官として2度の選抜甲子園を経験しましたが、夏はまだありません。香田誉士史元監督(53、現駒大監督)の言葉から気づかされたこと、道内強豪校の名将から影響受けたことなどを語ってくれました。鵜久森氏も日本ハムについてや、同期のダルビッシュ有(37、パドレス)が日米通算200勝を達成したときのこと、涌井秀章(37、中日)と活動を続ける61年会についてのことなどを語ってくれました。(以下、敬称略)
3点リードしても「絶対取られる」
【七回裏】
―駒苫は七回に再びマウンドに戻った福井投手を相手に2死三塁から佐々木主将の適時二塁打を皮切りに4連打で3得点。駒苫にとっては最多となる3点をリードした
佐々木(以下、佐)「でも俺ら絶対ね、この後、絶対取られるからって言ってた。絶対、追いつかれたり、絶対取られるから、そんなに驚かないでおこうって話はしてました」
鵜久森(以下、鵜)「そう考えたらこっちの方がプレッシャーかかってるね」
二塁けん制のときに打撃称賛?
【八回表】
―済美先頭の鵜久森がレフト前への強烈な安打で出塁。連打で二塁へ進み、糸屋捕手からの二塁けん制の際に、佐々木主将と何か言葉を交わしていた
鵜「全然覚えてないっすね。あいさつ程度じゃないですか?」
佐「(その前の打球が)すげえなと思ってたんでそれを言ったんだと思います。打球が見えなかったですもん」
スタンドからあと1人コールが
【九回表】
―3点を追う済美は、福井投手が先頭で二塁打。その後の連打で無死一、三塁。まずは佐々木主将が遊ゴロを併殺に仕留めて2死三塁。ここで駒苫ナインはマウンドへ。すると甲子園のスタンドからあと1人コールが沸き起こる。鵜久森はネクストバッターズサークルで打席を待っていた
鵜「そんなんありましたっけ? それが聞こえてないってことは、俺、集中してたんでしょうね。自分のことしか考えていなかった」
一発同点の場面で4番・鵜久森
―四球で2死一、三塁。一発同点の場面で打席が回ってきた
鵜「狙ってなんかないですね。僕、狙ったホームランってないんですよ。糸屋選手と違うんです(笑)。普通に自分のスイングをしたら、ホームランになるっていう感覚だったんで。ただ、高校野球って最後は真っすぐっていう感覚があるんです。その時の状況によるんですけど、変化球でいって、打たれて悔いを残したくないっていう人が多い。だから初球、真っすぐで中に入れてくるんじゃないか?って雰囲気があった。普通だったら外でホームランを打たれないようにすると思うんですけど、たぶん全力で思いっきり来るだろう。それに僕は合わせてて、変化球が来たら空振りでもいいと思ってた。それぐらいの感覚で振ってました。なので読みとしては合っていた」
初球の真っすぐを打ち上げた! 高く上がったフライに…『落とせ!』
―初球の真っすぐを打ち上げた。あと数ミリ違ったら左中間へ一直線だったか
鵜「あんなショートフライって、打ったことないかもしれない。高校生レベルぐらいだったら、あそこの高さでも、いつも捉えてたんで。結果的には…」
―打った瞬間は、よく言うスローモーションみたいな感じになったか
鵜「僕は打席で集中しだすと周りが聞こえなくなるタイプなんで。聞こえてる時ってのは打ってないんですけど(笑)。でもほんと、打った瞬間、自分が(アウトになるのが)分かるわけじゃないですか。『落とせ!』しか思わなかった(笑)」
甲子園史上最も高い遊飛との噂も
―甲子園で一番高いショートフライとの噂も
鵜「うれしくない伝説ですね(笑)。ちょっと高かったっすよね。打ちにいけるボールは僕は打ちにいこうっていう形だったんで、打ちにいきましたけど、結果的にこすってしまった。あの後、僕もいろいろ言われたんですよ。なんで初球を打ったんだとか(笑)」
佐「3点差だったので、ホームランを打たれても同点じゃないですか。一回、マウンドに集まったんですよ。もう真っすぐでいけみたいな感じでみんな言ってた記憶はあって。そのまま本当に真っすぐを投げて、飛んで来て。ほんと高かったです(笑)。めちゃくちゃ覚えてます」
まだ最後のボールを捕ってないのに抱擁?!
―優勝した瞬間のマウンドの幕切れ写真に、佐々木主将の姿がない
佐「めちゃくちゃ覚えてる。(二塁の林と)目が合うと、林はバっと座って、孝介さん捕ってくださいみたいな。めっちゃ高くて、まだ落ちて来ねえよと思ってたら、糸屋とヤスと桑島、この3人。僕がまだ捕ってないのに…。コイツららしいなって。決まってもいないのに、もう抱き合ってるって(笑)」
鵜「逆に孝介があそこで落としていたら、俺たちが勝ってたと思う。流れ的に。そういうエラーって、野球って取り返せない」
佐「戦犯だったね」
もし、あれが同点弾だったらその後の展開は…
―もしあの打球が同点本塁打になっていたら、試合はどういう展開になっていたと思うか
佐「絶対、僕らが勝ってます(笑)」
鵜「結局、また同点なんすよ。勝ち越せないんですよ。それが頭をよぎってて。打っても同点だなみたいな。僕が打たなくても次につなげばっていう感覚だった。西田も、めちゃくちゃ打ってたんで。仮に同点弾だったら、一斉にランナーいなくなっちゃうじゃないですか。そこからもう一回チャンスをつくるのは難しいんですよ。だから多分、凡打するんですよ。その後また裏が駒苫じゃないですか。サヨナラもあったと思います。そうなったら、球場はもうめちゃくちゃ盛り上がってると思うんですけど(笑)」
たとえ追いついてもサヨナラある
―鵜久森さんは、ホームランを打っていても負けてたかなと
鵜「だってもう、まだ終わらないの? ぐらいの感じで、もうずっと外野を走ってるイメージしかなかったんで。延長になれば…、っていうチャンスはあると思ってました。ただ、自分で決めようっていうのは、いろいろ経験してきて、力が入っちゃうんで。雑念を捨てて、自分が張ったものを打ちにいこうって。それが仮にホームランになりました、同点です、ってなったとしても、裏にこの勢いで来られると怖い。福井もバテバテやしな。これが満塁だったら、また話が別なんですよね」
「おまえが打ってたら勝ってた」
―済美・上甲監督からは試合後にねぎらいの言葉は
鵜「上甲さんには、おまえが打ってたら勝ってたとは言われました。同点なんですけど、おまえが4番として打ってたら、あの試合は勝ててたって。3ラン打ってたら勝てたって。上甲さん、どうしても夏が欲しかったんで。夏は優勝したことがないから。宇和島東でも春の優勝はありますけど…。10年間、言われました。亡くなるまで。会うたびに『おまえが打っていたら勝ってた』って言われましたけど、監督はそれぐらい悔しかったんだろうな、と。僕らより選手より、悔しがってたんすよ」
香田監督の印象的なことがない
―優勝した香田監督はどうだったか
佐「実は、試合中の香田さんの印象的なことが記憶に残ってないんです。同期と集まる時もみんな全然、印象がないっていうんです。好きに行けっていう感じだったんじゃないですかね。不思議なんですよ。甲子園中は初戦だけ記憶あります。もう全く別人だったんで。勝つことにこだわってる感じ。前の年のこともあったんで、絶対『前のイメージを払拭したい』という気持ちで、甲子園に入ってから初戦勝つまでの期間はもう、緊張感が伝わってきました」
結局、最後のバッターって
―試合が終わった後の実感は
鵜「僕はもう打った瞬間、負けた瞬間から、もう実感しかないですけどね。自分が打っとけば同点だとか、つなげなかったとかって、俺のせいで負けたんかなって思ってましたね、ずっと。結局、最後のバッターってそう思うと思いますね」
打ってくれたら、まだ試合できる
―同期と集まった時には当時の話題になるか
鵜「たまにですけど、当時の話とかもします。ただ、おまえもう十分打ったんじゃないっていう話で、別に責められることはないですね。あの後、ジャパンの合宿で、香田さんとエレベーターで一緒になって、『鵜久森くん、最後めちゃくちゃ怖かったわ』って言われたの覚えてる」
佐「シチュエーション的にそうだよね。俺は、打ってくれって感じ」
鵜「うそつけ(笑)」
佐「ホームラン打ってくれたらまだ試合できるもん。もうこれで終わっちゃうんだっていう寂しさの方が強くて。こんな夢のような空間、最初で最後じゃないですか。泣きながらやってた。涙が、自然とすっと出てくるような変な感覚」
鵜「俺、全くそういう感覚じゃなかった。早く決着つけたいって」
大優勝旗も津軽海峡を越えました
―翌日、駒苫ナインが乗った全日空の機内で「飛行機は津軽海峡の上空を通過しています。深紅の大優勝旗も皆さまとともに津軽海峡を越え、まもなく北海道の空域へと入ります」と祝福された
鵜「それ、知ってますよ。俺のおかげやなと思いながら(笑)」
レギュラーとして「やれることはできた」
―駒苫は北海道に凱旋、大フィーバー。済美も春夏連続決勝進出して準優勝は素晴らしい結果
鵜「胸張って帰ろうみたいな感じで監督は言ってました。すごいことですからね。四千何校ですもんね。その中で決勝できるのは2校しかないし。上甲さんにずっと言われてたのが、勝ち負け以上のところの話で、おまえらが勝たないことには控えの選手が良い大学に行けないって言われてたんですよ。だからレギュラーは責任があると。だから甲子園であそこまで行ったんで。僕はレギュラーとしてやれることはできた。良かったなっていう気持ちの方が僕は強かったですね」
「誇らしい」「人生変わった」
―2人にとって甲子園の舞台はどんな存在か
鵜「甲子園で優勝したい、四千校の思い。そのためにやってるので。そこを目指して実際、僕らは春優勝して、夏は駒大苫小牧が優勝して。ずっと、あのとき優勝したチームだよねって一生言われる。すごく自分は誇らしい。僕は過去の事はどうでもいいと思うけど、周りが覚えてくれていて、いろんな人に応援してもらって、地元だけではなく、全国まわっても覚えてくれている。高校野球は人との縁のつながり方が、ものすごく広い。当時は勝ち負けだけだったけど、最終的にはいろんな人とつながって良かった。(決勝で)戦ってなかったらこうやって会っていない。死ぬ思いでやって、負けましたけど、それはそれで良い思い出」
佐「甲子園に出られる場所を探していて、香田監督と出会った。兄が先に入ってくれて、自分もその流れで入れさせてもらって、甲子園に出るって。3年間で(甲子園に)出ることが目標だったけど、(甲子園で)勝つことが目標になって。最終的には優勝させてもらって人生が変わった」
~話題は2人のその後の20年、そして未来へ~
もし勝ってたら…歓迎されてない
―鵜久森さんはその年のドラフトで日本ハム入り
鵜「縁あると思った。まさかって。北海道の人からしたら歓迎ムードの感じ。俺らが勝って(優勝して)いたら歓迎されていないかも(笑)。日ハムさんには本当にお世話になった。11年間、鎌ケ谷も長かったですし、なかなか北海道に行けそうで行けなかったというのもある。バッティングにはすごく自信ありましたけど、前に飛ばなかったですね、最初。同じボールを投げるのに、プロと高校生じゃこんなに違う。(打撃投手の)関根さんのボールを打っても前に飛ばない。キレが良すぎて。高卒でキャンプ2年目かな。それぐらいレベル違う。北海道は好きになった街」
ダルの200勝は連絡しました
―日本ハムではダルビッシュ有、市川卓と高卒トリオ
鵜「ダルの200勝、連絡はしました。こっちもタイミングには気を遣う。離れているし、時差もあるからね。節目があったときに連絡したら、久々に3人で食事でもしたいねって話した。ダルは別格過ぎて。プロ入っても別格、今では世界でも別格(笑)」
―2020年にアマチュアを指導できる学生野球資格を回復した
鵜「申請しとけば、仮に苫小牧に来たときに孝介がちょっとバッティングを見てもらえないかとなった時にできるようにとか、母校に帰った時にもできるんで。ちょっとでも力になることができるように、ということで取りました」
涌井が発起人になって「61年会」
―23年12月に昭和61年生まれの「61年会」が発足。鵜久森さんもメンバーに
鵜「涌井(中日)が発起人になって。やろうって言うとは思ってなかった。性格的に。昨年、元プロと現役の涌井と名古屋で野球教室をやって、元プロ19人くらい全国から集まった。涌井も中学生相手に軽く投げた。そういう世代になってきた。松坂さんもそういうのをやっている、55年会で。ああいうのを涌井がやりたかった。今年もやろうかって話している」
母校率いてセンバツ2度出場
―佐々木監督は09年7月に監督就任後、香田監督の指導に自らのアレンジを加え、甲子園には14年春に初出場して1勝。18年の2度目のセンバツ甲子園は1回戦敗退で、夏の甲子園には監督としてまだ出場できていない
佐「何も分からなくて、勉強していく中で香田さんの影を追って。今年は香田さんが駒沢大学の監督になられて、林がコーチ、トレーナーも小川さん。逆にひと回りして、自分も15年たって香田さんの教えをもう一回追ってみるのも一つなんじゃないかと思っている。時世が変わって、子どもの質がどうとかって話になっているけど、変える必要がないところは変えようと思ったことはない。香田監督の取材の中にも、勝つことで野球の評価がされるって文面を見たときに、あっ、そうかと。勝ちにこだわろうかなと。今より一層、勝ちにこだわってやろう、と思えた」
「同級生が監督やっているので」
―鵜久森さんもいつか指導者として母校のユニホームを着たいですか?
鵜「それはやめてください(笑)。同級生の田坂が監督やっているので。当時の竹本バッティングコーチが戻って来てくれた。75歳くらいになるんですけど、田坂がもう一回お願いしますって。ずっと断っていたみたいですけど。済美の打線も良くなった。(夏は)結構いいところまで行くのかな。春も結構いいところまで上がっていた」
夏の甲子園を目指す戦いが今年もやって来る
―6月22日に室蘭支部が開幕する。再び夏の甲子園への挑戦が始まる
佐「簡単じゃない。北海ってすごい、執念が…。この前の(クラーク・佐々木)啓司さんもそうですし、俺もあんなふうにやった方がいいのかなと思うときがある。(元北照の)河上さんもそうですし。僕は結果として何も出していない。出したいと思って出るものでもない。いろんな反省を踏まえて毎年改良して、生徒と一緒に。今年のチームはコロナ禍が終わってから一番接している生徒たち。接する時間が長くていいなと思っています」
また対決したら、次は済美で
―鵜久森さんは済美が甲子園に出たら?
鵜「行きたいですね。同級生が監督なってますし」
―また済美と駒大苫小牧が対戦することになったら楽しみ
鵜「その世代の同級生の監督。次(の優勝)は済美で(笑)」
《おわり》