廃部していた森高校野球部が来春にも復活 元オリックス・吉田雄人さんが監督となってゼロからの恩返し
新指揮官は北照で3度甲子園経験
2021年に廃部になった森高校硬式野球部が、早ければ来春から活動を再開する。監督には北照で3度の甲子園出場を経験し、18年までプロ野球オリックス・バファローズでプレーした森町出身の吉田雄人さん(29)が就任予定。吉田さんは今年4月から同町の「地域おこし協力隊」の一員として活動を始めた。6月末に在校生を対象に体験会を行い、7月19日には第2回も実施予定。7月に入ってからグラウンドの土を入れ替える作業も済み、準備は着々。来春の入部希望者を随時募っていく。中学卒業時に地元を離れた吉田さんが故郷の野球部復活に手を挙げた、ある思いとは―。
野球の力で森町が元気に
6月26日、荒れ放題だった野球グラウンドに久しぶりに金属バットの快音が響き渡った。体験会の参加者は1年生から3年生まで、ほぼ初心者の男女15人。吉田さんのデモンストレーションに生徒から感嘆の声が上がり、それぞれ野球の楽しさを感じ取ったようだ。吉田さんは7月中旬に同町に引っ越した。現在は同町の少年野球2チームで週に一度、指導を行っており、昨年札幌で開講した小中学生対象の野球アカデミーも町内に開講している。
甲子園は特別な場所 再び聖地へ
「甲子園は夢の舞台という感覚はないんですけど、自分のその時の実力以上のものを引き出してくれたような感覚があった、本当に特別な場所。高校野球の3年間は、あとの全てを犠牲にしてでも打ち込むに値する3年間。甲子園って、それぐらいの価値がある」。今度は故郷の監督として聖地を目指す挑戦が始まる。
森高校は今年5月に地域連携校に 体験会は学校存続を探る一手
少子化や過疎化の影響で、今春の同校入学者は20人に満たず、5月に地域連携校に指定。存続の危機にひんしている。同高野球部は、1965年の南北海道大会で4強入りするなど3季通じて全道大会に8度出場したが、2017年夏に連合チームとしての出場を最後に公式戦の出場はなく、21年に廃部。体験会の実施は来春の野球部復活と学校存続の可能性を探る一手だった。
反響大きく環境整備は急ピッチで
「一刻を争う。段階を踏んでいたら学校がなくなっちゃう。来年4月には新入生を集めて、野球部をつくりたい。その中で、今いる生徒に対しても、部活、スポーツの素晴らしさを伝えてほしいという学校側の要望もありまして、在校生に対してもスポーツ、野球に触れてみないか、というイベントを企画した」。体験会の反響は大きく、吉田さんを含めた関係者は大きな手応えをつかんだ。これから急ピッチで環境整備を加速させる。
函館東リトルシニア時代の先輩が
今回の野球部復活計画の中心人物は、吉田さんの函館東リトルシニア時代の先輩で、駒大苫小牧では田中将大投手(35、楽天)と同期だった山本康伸さん(36)だ。主に町や森高校との連携を担っている。山本さんの弟は駒大岩見沢閉校の年に遊撃手として活躍した奉伯さん(28)で、吉田さんとは同シニアの元チームメートだった。「野球部ができた時にはコーチになっていただこうかな」と信頼を寄せている。
野球するのも苦しかったプロ生活 心が折れて23歳で現役引退
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プロでプレーしたのは5シーズン。1軍での出場は14試合だった。「高校時代は自分で取り組んだことがほとんど結果として現れていた3年間の後に、何をやってもうまくいかない5年間。何より試合に出られない、ベンチで声を出しているだけの時間はすごく苦しいものでした。最後の1年、半年間ぐらいは、本当に野球をするのが苦しかったですね。ユニホームを着るのが苦しくて、心は折れてました、完全に。野球を続けたいとも思わず、トライアウトも受けなかった」と23歳の若さで現役を引退した。
関西の映像制作会社で古巣も取材
引退後、アマチュア指導の資格を回復。関西の映像制作会社に就職した。そこはテレビ朝日系列の関西の放送局の番組制作も行っており、アシスタントディレクター(AD)として、甲子園や京セラドームに再び足を踏み入れた。「試合前練習の取材から選手の取材。コロナがあったので直接、面と向かってのインタビューは結構制限されていたのですが、カメラマンさんにも、見るポイントとかを結構喜んでいただいて、それはそれで楽しかったです」。古巣の取材時には元チームメートから「おまえ、何でいんの? 何してんの? って球場で見かけたら声を掛けていただいて、ありがたかったですね」。
「やっぱりこの世界で生きたい」
23年1月に札幌でパーソナルジムを開業するために帰道。小中学生を対象に野球アカデミーも開校した。同年4月からは1シーズン、母校の北照でコーチを務めた。高校時代は「プロ野球選手になるより、高校野球の指導者になりたいと思っていた。高校野球は素晴らしい、と感じながらやっていたので、本当に自分の人生の中で大きな3年間。人間として成長させてもらった」。コーチを務めていく中でも「改めて高校野球の魅力を再確認した。やっぱりこの世界で生きていきたい、という思いがどんどん強くなってきた」。そして今回のプロジェクトを知り、「ゼロからできる」と故郷への恩返しを決意した。
知内はプロ選手も生んだ成功モデルに
まずは近隣の成功例を参考にするつもりだ。道南では町立の知内高校が22年に南北海道大会で準優勝。エースの坂本拓己投手(20)はドラフトでヤクルト入りした。いまでは道南のみならず、札幌など遠方からも進学する中学生が後を絶たない。知内の今年の生徒数129人中、野球部員が63人と約半数を占めている。
個性ある積極性や育成を大事に
「同じ函館支部ですし、真っ先に比べられる。良い部分は吸収していきたいし、そこに勝てるようなチームになっていかないといけない。一人一人の個性があふれた積極的なチームにしたい。自分が高校野球でたくさんのことを勉強して、いい思いもしている。ただ、その後、プロ野球に行って挫折をして、通用しなかった部分がたくさんあった。高校野球以降のトップレベルでも活躍できるような選手をたくさん育成できるチームにしたい」。一度は野球のために離れた故郷を、今度は野球で活気づける。
■プロフィール 吉田 雄人(よしだ・ゆうと) 1995年4月21日、森町生まれ。森小1年時に森クラブで野球を始める。中学硬式の函館東リトルシニアでは投手。2学年後輩のチームメートには日本ハムの伊藤大海投手(26)がいた。北照では100メートル11秒8の俊足と遠投110メートルの強肩を生かし1年夏からベンチ入り。中堅手として、2年春、3年春、夏と3度甲子園に出場。3年時の9月にはU18野球ワールドカップの日本代表にも選ばれ、2013年のプロ野球ドラフト会議でオリックスから5位指名された。17年に1軍デビュー。18年限りで現役を引退した。178センチ、70キロ。右投げ左打ち。家族は妻。