札幌日大高の森本琢朗監督が決勝〝4度目の正直〟でつかんだ悲願の甲子園切符【南北海道大会決勝】
■全国高校野球選手権南北海道大会最終日(7月21日、エスコンフィールド北海道)
▽決勝 立命館慶祥4-6札幌日大高
夏初Vで12年越しの約束果たす
札幌日大高が立命館慶祥の終盤の追い上げを振り切り、夏は創部38年目で初の頂点に立った。2006年就任の森本琢朗監督(43)は、これまで甲子園がかかる夏秋通算5度決勝に進むも5連敗。チームを鍛え上げるのはもちろん、〝勝ち運〟を引き寄せるため、名将たちからの助言であらゆる手段を講じてきた。そして、初めて決勝に進んだ2012年南大会から12年越しである約束を果たすことができた。指揮官は日大同期で横浜ベイスターズ(現DeNA)やヤクルトで活躍した2人のOBへの報告を心待ちにした。
全国一番乗りで甲子園出場が決定
何度もはね返されてきた、あと1勝の壁をついに突破した。全国49校中、一番乗りで甲子園出場を決め、「やっと応援してもらってきた方に、ちょっと恩返しできたかな」と、決勝戦の試合後に初めて流れる母校の校歌に浸った。祝福の胴上げは丁重に断った。過去、決勝で敗れる度に、相手の監督が胴上げされるのを見てきただけに「決勝で負けてる気持ちは分かるので、選手たちの喜んでる姿とか見られたら十分」。喜びは胸の内にそっとしまい込んだ。
合言葉は「一戦決勝」
この夏の合言葉は「一戦決勝」。「大会が始まった時から常に決勝っていう意識を持たせていた。朝、ミーティングした時には『何回目の決勝?』って言ったら『7回目です』って言っていたので、意識はあったと思います」。決勝という特別感を持たないようにするため、苦心してきた。
2012年夏に始めて決勝進出
準決勝の北照戦に続き、エース小熊梓龍投手(3年)を2日続けて先発に起用した。六回までは無失点だったが、6点リードの七回に4失点で一気に2点差まで追い上げられ、嫌な記憶が脳裏をよぎった。初めて南大会決勝に進んだ12年、札幌第一に七回に逆転されて1点差で負け。そこから16年の夏と秋、19年秋と、あと一歩で優勝を逃し続けてきた。
登録名変更が奏功!?し、春の全道で優勝 その夏も決勝まで進み…
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なぜ勝てないのか―。わらにもすがる思いである決断を下した。21年4月、親交のある青森・弘前学院聖愛の原田一範監督(46)に相談し、ビジネスネームを本名の「卓朗」から「琢朗」に変更した。「原田さんも変えて甲子園に行った。(札幌日大高も)すぐ春に優勝。夏は決勝まで行かせてもらって『名前すごいな』なんて思っていた」。ところが「決勝でまた同じような感じだった」。3度目の南大会決勝では、北海に1点リードの八回に逆転を許し、またまた甲子園を逃した。
名将の影響で朝晩の参拝が日課に
今年3月から、自宅に一番近い札幌の弥彦神社に毎日朝晩、参拝を続けている。円山球場で試合がある日は北海道神宮にも参拝してから球場入りする。「今まで全然、神社に行くなんて考えもしなかった」。出張などで札幌を離れる際にはホテルから一番近い神社へのお参りを欠かさない。
きっかけをくれたのは札幌市出身でJ1町田の黒田剛監督(54)。青森山田高監督時代には全国高校サッカー選手権など7度の全国制覇を遂げた名将だ。参拝を日課にしていることを聞くと「意外に勝っている人ってそうなんだなって」と、自らも取り組み始めた。そのことを部員に話すと、選手たちも毎日朝晩、寮から一番近い神社に参拝をするようになった。
試合の終盤をどう戦っていくか
やれることは全てやってきた。それが通じたのか、勝利の神様がようやく振り向いてくれた。この日も七回に2点差まで追い上げられたが、その後は小熊投手が立ち直り、2イニング無安打で締めくくった。守備も決勝を含めて南大会4試合無失策。「終盤、勝ち切るために、どういう風に野球をやっていくか、ずっと選手たちに言ってきた。その部分においては、これまでの選手たち以上に終盤の粘り、耐えていくこと、そういったことができる子たちだった」。たくましく成長した選手を称賛した。
村田修一氏、館山昌平氏と祝勝会
長年待たせた約束も果たせた。12年の南大会で初めて決勝に進出した際、日大の同期でロッテの村田修一打撃コーチ(43)、元ヤクルトの投手で今年2月にマルハン野球部の監督に就任した館山昌平さん(43)が祝勝会の準備をしてくれていたが、甲子園出場を果たせず延期になっていた。今大会中は連絡がなかったというが、「今日あたり来てくれると思ってる。いっぱいおねだりしようと思ってます」。長年の重圧から解き放たれ、この日一番の笑顔が広がった。