《元赤黒戦士の現在地・都倉賢後編》クラブ史上最多リーグ戦67得点をマークした札幌での5年間の日々
後編は札幌在籍時の5シーズンを振り返る
かつて北海道コンサドーレ札幌で活躍したOBの現在と過去に迫る『元赤黒戦士の現在地』。前回に続き、FW都倉賢(38)の後編をお届けする。2014年から18年まで5シーズンにわたり札幌のエースストライカーとして活躍した足跡を、都倉自身の回想と共に振り返る。(以下、敬称略)
海外移籍を視野「Jリーグのオファーは断って」
13年シーズンをもって4年間在籍した神戸を契約満了となった都倉は、海外移籍を目指して渡欧することを選択した。「代理人にJリーグからのオファーは僕の耳に入れないで断ってくれと伝えて。海外移籍を模索していたが、なかなかチームが決まらず、1月に入ってからやっとの思いでデンマークのチームに練習参加できることになって」。当時デンマーク1部に所属していたFCベストシェランに練習参加すると、当初は1週間の予定が1カ月まで延長。都倉自身も手応えを感じたが、契約には至らなかった。「そこからだともうヨーロッパもシーズンが始まって、練習に参加できる感じではなくなって、断念せざるを得なくて。代理人と相談したところ、ずっと札幌だけが手を上げ続けてくれていた」。
羽田で待っていた三上GM
時期的にはJリーグ開幕を目前に控えた2月下旬のこと。他クラブが開幕前の編成を終えていく中、この2年前にも獲得オファーを出していた札幌だけは、都倉の動向から目を離さなかった。「都倉の気が済むまで海外挑戦してくれていい」「もし日本に帰ってくる場合は札幌と契約してほしい」という話を(代理人と)裏でしていたようだった。「僕は全然知らずに、本当に帰国する前日にその話を聞いた。羽田(空港)でGMの三上さんが待っていてくれて、たぶんシーズンが始まる2日前ぐらいだったと思うんですけど、羽田で契約書にサインしました」。獲得したい、という強い熱意に導かれ、都倉は14年シーズンの開幕戦を終えた直後の札幌に加入することが決まった。
出場4試合目で移籍後初ゴール
札幌の一員となった都倉は、第3節アウェー湘南戦で後半15分から途中出場し、早速新天地でのデビューを果たす。「海外挑戦しての途中加入でキャンプをやっていなかったので、合流してすぐメンバーに入れてもらったが、なかなかコンディションが上がらなくて、すごく苦労したのを覚えている」という言葉どおり、最初の3試合では結果を出すことができなかった。4試合連続の途中出場となった第6節ホーム松本戦(1〇0)で、ついに決勝点となるゴールを決めた。「移籍して初めて決めたゴールは、やっぱりそのゴールが無ければ何もスタートしないので印象に残っている」と振り返る加入後初ゴールで、札幌のエースストライカーとしての第一歩を踏み出した。
2014年のJ2最優秀ゴール賞に選出
この年は最終的に37試合に出場し、チームトップの14得点。10月26日のホーム湘南戦(2〇0)ではクラブのリーグ戦通算1000得点となるゴールをマークした。GK李昊乗(イ・ホスン、34)からのロングボールを胸トラップで落とし、ペナルティーエリア外から左足ボレーで叩き込んだこのゴールは、同年のJ2最優秀ゴール賞に選出されるなど、チーム内外に〝札幌の都倉〟の名をとどろかせた。
「(チームの順位は)10位でそんなに良くなかったけど、若くて才能あふれる選手もいたし、割と攻撃的なメンバーが多くて。失点もするけど、チャンス構築回数は多かった印象があった。FWとしてそういうチームでプレーできるとゴールのチャンスが増えるので、うまいこと決められたと思っている」。
一番鳥肌が立った〝ベストゴール〟とは
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翌15年は34試合出場で14得点をマークし、2年連続のチーム得点王。16年は40試合19得点で3年連続のチームトップスコアラーとなり、札幌のJ2優勝、5年ぶりのJ1昇格に大きく貢献した。「大事な試合だとか、天王山みたいなところで決められた印象はあります」と振り返る。自身が立ち会った中でベストゴールに挙げるのが、11月12日のアウェー千葉戦(2〇1)の後半アディショナルタイム5分に生まれたFW内村圭宏(39)の決勝ゴールだ。「フクアリで内村さんが決めたゴールが、いまだに僕のサッカー史上で一番鳥肌が立ったゴール。昇格を争う環境に身を置いて、ああいうシチュエーションでプレーできたということは、僕のサッカー人生のひとつの宝物。チーム加入3年目でようやく訪れたチャンスで、勝ち点差がどんどん詰まってきてヒリヒリしていた感じとか、シチュエーションとか全てを含めて、いまだに僕の中ではベストゴールです」。
松本山雅に行く気満々 ノノさんが説得
札幌在籍3年目にようやくつかんだJ1への切符。「草津のときに個人昇格させてもらいましたけど、やっぱりチームみんなで昇格するというのは、個人昇格とは全然比べものにならない達成感があった」と、当時の喜びを振り返る。「1年目に14得点を取ったときに、J1に上がった松本山雅からオファーが来て、僕は正直行く気満々だったんですけど、ノノさん(※当時のクラブ社長で現Jリーグチェアマンの野々村芳和)が、チームの中心として活躍して、昇格することの価値を説いてくださって。そこから2年たって、自分がチームの中心となりながら昇格できたことは、すごく財産になりました」と、まさに〝石の上にも3年〟で成し遂げたJ1昇格だった。
神戸時代の不完全燃焼を払拭
札幌の一員として、自身5年ぶりのJ1に挑んだ17年。「神戸時代はなかなか力を発揮できず、J1から淘汰された気持ちでやっていたので、もう一回僕がJ1の選手になれるかどうかの年だった」と、不退転の覚悟で臨んだ。結果は30試合9得点とJ1でのキャリアハイを更新。チームも16年ぶりとなるJ1残留を果たし、実り多き一年となった。「個人昇格のときよりも、力強く頼もしい仲間たちと一緒に戦えた。僕のプレースタイルを理解している選手が多かったので、(ゴール数は)2桁に届かなかったが、今までのJ1とは全く違う手応えを個人として感じられた年になった」。
ミシャサッカーに適応している実感
18年、チームはミハイロ・ペトロヴィッチ監督(66)を招へい。都倉はJ1では自身初となる2桁得点(12点)をマークし、試合終了間際の決勝点を4度挙げるなど、キャリアの中でも特に強い輝きを放った1年となった。ただし、その歩みは決して平坦なものではなかった。「この年はミシャさんの1年目で、今までオートマチックにみんな連動してプレーした経験が無かったので、フィットするか不安で、キャンプでも序列はFWで3番目、下手したら4番目ぐらいのスタート。ただミシャさんがそれまでやってきたプレーモデルは分かっていたので、ミシャさんがやろうとすることを、どう自分の中で吸収するかを必死に考えながらキャンプをしていた」。開幕戦から第4節までベンチスタートとなった都倉は、第5節アウェー鹿島戦(0△0)でスタメンに名を連ねると、次のホーム名古屋戦(3〇0)で豪快なオーバーヘッドを決めて、シーズン初ゴールをマークした。「あのゴールが自分の中できっかけになった。チームも開幕から、前年よりJ1相手に普通に戦えているのが、ベンチから見て分かっていたので、客観的に何試合かを見られたのも僕の中で大きかった。ゴール前でのプレーに特化すれば、得点の匂いは前の年より、さらにあるなというのを感じながらプレーしていた」。
札幌時代で一番印象に残っているマイゴール
名古屋戦を皮切りに、都倉は3試合連続ゴール。その中で生まれたのが、札幌時代で最も印象に残っているという、4月14日アウェー柏戦(2〇1)の後半42分の決勝ゴールだ。「ヘディングでゴールしたが、前半に1点取られて、そのあと宮吉がヘディングを決めて。どっちに転ぶか分からないところで、最後に決められた。チームとしてもJ1相手にアウェーで逆転できた部分と、自分のストロングが発揮できた部分を含めて、僕らしさを前面に出せたゴールだと思っている」。この年、札幌は一時3位に浮上するなど、ACL出場権争いに加わる躍進を見せた。惜しくもアジア行きのチケットは手にできなかったものの、クラブ史上最高の4位でシーズンを終了。同年オフ、都倉はC大阪に移籍。札幌での5年間のキャリアにピリオドを打った。
札幌の歴史に名前を刻まれるのはうれしい
札幌在籍5年間でリーグ戦171試合に出場して67得点。さまざまなカテゴリーで得点王を輩出してきた札幌のクラブ史で、都倉のゴール数はいまだに歴代1位を守り続けている。「J2の3シーズンが入っているので、一概にどうこうと言えないですけど、そのゴールの数だけ自分が札幌の選手として貢献できた数でもある。長い札幌の歴史の中で、そういう形で名前が刻まれているのはすごくうれしい」。歴代トップスコアラーとして、クラブの記録にその名を残す都倉。いつかその記録を塗り替える選手が出てくる日が来ても、彼が赤黒縦縞のユニホームで戦い続けた5年間の日々は、サポーターの記憶から消えることは決してないはずだ。
【札幌サポーターへのメッセージ】
在籍した5年間、本当にたくさんのサポートをありがとうございました。いまだに盛岡にも札幌サポーターの方がいらしてくださったり、関東などでもお見かけして、すごくうれしいし、懐かしい気持ちになります。
今盛岡もそうですし、札幌も難しい状況ですけど、僕自身は越えられない壁は無いと思うし、こういった難しい状況こそ、自分たちを強くし、成長させてくれると思うので、このピンチをチャンスと捉えて、僕も目標に向かって全力を尽くしていきます。札幌のファン・サポーターの皆さんにも、最後の最後まで選手を応援してもらい、笑ってシーズンを終えられる、そんな年にしていけたらと思います。なかなか札幌で試合をやる機会が無いですが、盛岡は飛行機で近いので、ぜひ応援しに来てください。
■プロフィール 都倉 賢(とくら・けん) 1986年6月16日生まれ、東京都出身。慶応義塾大在学中の2005年、大学を休学してJ1川崎に加入し、プロサッカー選手としてのキャリアをスタートさせる。08年途中にJ2草津(現・群馬)に期限付き移籍。完全移籍に移行した翌09年には43試合23得点とJ2得点ランク2位の成績を残してブレーク。10年からJ1神戸でプレーし、契約満了となった14年にはデンマークへ渡りFCベストシェランのトライアウトに参加するも契約に至らず。同年春の帰国後、当時J2に所属していた札幌に加入。在籍5年間で4度の2桁ゴールを記録するなど、札幌在籍経験選手では過去最多となるリーグ戦通算67得点を記録。札幌のエースとして16年のJ2優勝・J1昇格、17年のJ1残留、18年のクラブ史上最高の4位に貢献するなど一時代を築いた。19年からJ1C大阪、21年からJ2長崎、24年からJ3盛岡でプレー。札幌での5年間のJ1・J2リーグ戦通算成績は171試合67得点。Jリーグ通算成績は445試合122得点(24年7月21日現在)。187センチ80キロ。利き足は左。ポジションはFW。