東海大札幌高野球部が新体制を発表 大脇監督から遠藤コーチへ監督交代
21年間の監督生活で日本ハムの伏見、今川ら5人のプロ選手輩出
東海大札幌高野球部は7月27日付で大脇英徳監督(49)が東海大相模出身の遠藤愛義コーチ(39)に監督を交代したと発表した。大脇前監督は東海大四高OBで2004年から21年間に渡って指揮を執り、日本ハムの伏見寅威捕手(34)や今川優馬外野手(27)ら、5人のプロ野球選手を輩出してきた。今後も野球部に残り、大学との調整や3年生の進路に携わっていく方針だ。
後悔はなく次のステージへも意欲
現役時代の高校、大学を含めて32年間袖を通してきた縦じまのユニホームを脱ぐ時がやってきた。解任ではなく辞任でもなく、自ら監督交代を決断した。大脇前監督は「後悔はないと思います」と清々しく言い切った。今夏は札幌支部代表決定戦で無念の敗退だった。「勝っていたとしても、こういうタイミングだったと思います。自分は3年生の進路だったり、同じ札幌キャンパス(大学)の野球部の高大連携など、野球部に残って、広い視点から関わっていく」。すっきりとした表情で、次のステージへの意欲を明かした。
東海大相模出身の遠藤新監督
遠藤新監督は筋金入りの東海大系列の生え抜きだ。東海大相模出身で、進学した東海大では春秋4度の全国大会に出場。卒業後も母校の東海大相模、東海大菅生の指導者として5度の甲子園出場。16年からの東海大相模では、名将・門馬敬治監督(54、現創志学園監督)の下で学んだ。
選手に寄り添うことが一番大事
東海大札幌高コーチとなる以前の2年前に大脇前監督からラブコール。「その頃からゆくゆくはっていう話をしていた」。昨春、コーチとして赴任。公式戦では部長としてベンチで大脇前監督を支えた。指導者はほかにも複数いるが「監督となると、東海大学のつながりを含めて遠藤が適任だったのかな。選手と指導者って一番何が大事かって、一緒にいること。監督として、言い過ぎたかなとか思っても、遠藤がしっかり一緒にいて、ケアしていることが多々あったので、安心している」。1年以上ともに指導する中で、人選に間違いがなかったことを確信した。
一番の思い出は甲子園の勝利や準優勝ではなく…
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監督業は常に苦悩の日々だった。「監督になった時から、1年勝負って思ってやってきた。負ける度にもうこの夏、辞めた方がいいのかな?、という繰り返し」。その中での一番の思い出は、監督として初めて甲子園に出場した2014年でも、15年の選抜準優勝でもなく、就任5年目の08年春の全道大会優勝だった。当時主将としてチームをまとめていたのは現日本ハムの伏見捕手だった。「5年、10年と区切りを自分の中で思っていたので、これで勝ててなかったら辞めようと思っていました。春の全道でしたけど、優勝できた時が一番ホッとした」。名門の重圧と戦いながらの21年間だった。
育てたプロ選手たちにはその世界に20年いてほしい
これまでにプロ野球選手を5人輩出。「20年、プロの世界にいてほしいですよね」。引き合いに出したのは、東海大四高時代の1学年先輩で、現DeNAの佐竹学アナリスト(49)。「12球団で一番、コーチ歴が長いんです。周りから求められる。佐藤真一さん、大村巌さんも」。教え子たちにも息の長いプロ野球人生を歩んでもらいたいと願う。
東海野球を継承し新たなスタート
新たな血が入ることで変わることもあるが、絶対に変わってはいけないことがある。それは東海野球の継承だ。「この間の相模の勝ち方ですよね。打たれても打たれても、強く遠くに飛ばす、前に前に進むような、あれが東海大学の勝ち方」と、今月24日に行われた神奈川県大会決勝で東海大相模が横浜に6-4で逆転勝ちした試合を引き合いに出した。「創部60周年で、相模の遠藤と東海大四OBの大脇が融合して、新しい東海大札幌校としてのスタートを切りたい」。指導の第一線からは退くが、これまでとは違った形で母校をサポートしていく。
■プロフィール 大脇英徳(おおわき・ひでのり) 1975年6月22日生まれ、旭川市出身。東海大四高では捕手。3年時に主将として夏の甲子園に出場して1勝。東海大では故・原貢監督の下で学んだ。NTT北海道からNTT東日本を経て、2000年に母校へ保健体育の教員として赴任。部長として01年の選抜甲子園に出場して1勝。03年7月に監督に就任。08年春に3季通じて道大会初優勝。14年南北海道大会を21年ぶりに制して、夏の甲子園で監督として初勝利。15年選抜甲子園で同校の春夏通じて初の決勝進出。道勢として52年ぶりの準優勝を果たした。家族は妻と1男3女。