《岩本勉のガン流F論》やってられんわ! 首脳陣とフロントにたんかを切った5年目の春
■パ・リーグ13回戦 西武3ー1日本ハム(7月27日、エスコンフィールド北海道)
同じやられ方が目立つ福島
やられ方が決まってきた。福島だ。六回、先頭の源田に四球を与えた後に3失点した。前回(7月15日の楽天戦)もそうだった。イニングの先頭で何か起きた時、ボールが真ん中に集まってくる傾向がある。毎回ではないが、このやられ方が目立つ。福島に関して「踏ん張ってくれました」というフレーズを口にした記憶がない。
「間」がほしかった六回のシーン
淡々と投げ込むのは悪くない。今回で10試合目の先発機会。マウンド度胸も付いてきている。だが、ここぞの場面でギアを上げる必要がある。この日でいえば、間違いなく六回。源田にストレートの四球。続く西川に2球連続ボールとなったタイミングだ。ここでベンチは「間」をつくるという選択もあった。そこでギアチェンジを促すこともできた。
道民におなじみのマー君が得意だったギアチェンジ
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そのスキルに限れば、投げ合った武内との差は歴然だった。ギアチェンジといえば、道民におなじみの楽天・田中将大。試合の終盤、ピンチのシーンなど、サインを見つめる顔が鬼のごとく変化したものだ。武内はストレート一つにしても、バリエーションを持っていた。カウントを取りにいく球、見せ球、勝負にいく直球、空振りをさせるもの。意識してか、自然か。いずれにしても見事に使い分けられていた。
激高した若き日 1軍40人枠からの除外
カロリーを大きく消費してでも抑え込みにいかなければならない瞬間がある。私は自らの進退を懸けて、このギアチェンジを体得した。プロ5年目の1994年。開幕時、1軍40人枠に加わることができた。5月を目前にした頃、2軍監督に呼ばれた。いざ、1軍登録かと思いきや、この枠から外された。納得がいかなかった。負傷がちな先輩が残っていた。そこで言ってしまった。「実力の世界じゃないんですか!」「もう、やってられんわ!」。2軍の監督、コーチ、そしてフロントにたんかを切った。若かった。
前を向かせてくれた恩師の言葉
すぐにでもプロ野球界から飛び出すつもりだったが、恩師の一言で踏みとどまった。担当スカウトだった宮本好宣さんに電話でどやされた。「やめて大阪に帰れ! いや、おまえみたいなヤツ、帰っても来んな! 1軍のマウンドも経験してないくせに!」。そして叱咤(しった)激励された。「マウンドで結果を出せ。答えを見付けてこい」と。悔しかったけど、また前を向くことができた。
忘れられない宮本好宣さんの涙
そこからの2軍戦。ピンチを迎え、円陣で「ここが踏ん張りどころだ」と言われるたびに、死に物狂いで打者を抑えにかかった。これこそがギアチェンジ。自然と体に染みこんでいった。そして5月の月間MVP(イースタン・リーグ)を獲得し、1軍切符を手にした。再会した宮本さんに「よく頑張ったなぁ」と声をかけられた時、ボロボロと涙が流れた。宮本さんも泣いてくれていた。思い出すたびに、今でも胸が熱くなる。
学んでほしいギアチェンジ 福島は期待の逸材
福島が今後、大きく飛躍するためには、このギアチェンジを学ぶ必要がある。ギアを上げるべき瞬間、上げ方。身に付けてほしい。さらなる飛躍を大いに期待してるで!