《岩本勉のガン流F論》マイナーチェンジを繰り返した尼崎のヤンチャなあんちゃん
■パ・リーグ16回戦 日本ハム2ー3ソフトバンク(8月4日、みずほペイペイドーム)
変化球を有効活用することで生きる素晴らしいストレート
田中正が九回にやられた。ここ数試合、敗戦にこそなっていなかったが、走者を背負うシーンが多かった。そしてついに今回、リードを守り切れなかった。ストレートは悪くない。ただ、現在のプロ野球では155キロの直球は打ち返される。変化球を有効に使わなければ、素晴らしい直球は生きない。いいフォークを持っている。もう一度、チェックするだけでいい。自信を持って空振りを取れる変化球を投げ込むことで、解消されることは多いはずだ。
プラスでしかない野村の復調 伊藤には言うことなし
敗れはしたが、野村の一発には大きな価値があった。七回2死一塁で、代打で出てきて初球をガツン。逆転2ランをかっ飛ばした。打った野村は当然、素晴らしい。野村、清宮、万波は新庄体制の〝強化指定選手第1号〟だ。復調はプラスでしかない。ただ、ベンチの采配が見事にハマった一発でもあった。好投を続けていた大関からレイエスがチーム初安打。代走に五十幡を送った。打つべき手を打ち、バッテリーにプレッシャーを与えることができた。
先発の伊藤に関しては言うことなし。文字通りのクオリティースタート。何も心配することはない。次回登板も期待している。
ボールを握ったら男前になった鉄腕
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さあ、宮西。前人未到の400ホールド。鉄腕よ、おめでとう! まずは素直に祝福したい。彼に初めて会ったのは2008年の2月になるのかなぁ。彼が1年目の春季キャンプ。ヒョロッとしていて色白で茶髪。尼崎のヤンチャなあんちゃんが入ってきたなぁという印象だった。ただ、ボールを握ったら、実に男前だった。
毎年、見せてくれた「ネオ宮西」
なぜ、これほどの偉業を成し遂げられたのか。それは巧みなマイナーチェンジにある。彼は毎年、「ネオ宮西」を見せてくれた。特にキャリア終盤になり、手術を繰り返してからは見事だった。腕の位置、ステップ、右肩の入れ方。そして球種も。右打者にしか投げていなかったチェンジアップを左バッターにも駆使するようになった。出し惜しみしていたのか!?と思うほどだ。
良しとしなかった後戻り
振り返ることはあっても、後戻りはしない。そういう男だ。誰だって変化を怖がる。特にピッチャーはそういう生き物。年齢が30を過ぎれば、なおさらだ。調子を落とせば、良かった頃を思い、当時に戻ろうとする。宮西はそれを良しとしなかった。球速にしても、体重にしてもそう。今、自分にできることを磨き、プラスアルファの味付けをしながら、キャリアを重ねてきた。
繊細できめ細かな準備があってこその豪快な投球
いつだったか、手術直後のキャンプを今でも覚えている。リハビリを兼ねたブルペンで試合用のユニホームを着用していた。タッチにこだわる―。ボールへのタッチ、ユニホームの肌触り。すべて試合を想定してのこと。それだけ繊細な男なのだ。豪快で大胆に見えるピッチングは、繊細できめ細かな準備があってこそ成り立ってきた。
薄っぺらいガラスを手入れするような
手術を経てなお、マウンドに立ち続け、薄っぺらいガラスを手入れするように自分の体をケアしてきた。私も手術こそないが、左ハムストリングの肉離れや右肩関節唇のけん盤損傷などを経験し、リハビリに励んだ時期もあった。だからこそ、オフにも及ぶ入念なケアを乗り越え、マウンドで全力を尽くす姿に胸を打たれた。これこそが、ロマン。そう表現してきた。
50歳まで投げ続けて! おっさんトークしたいわぁ
リリーバーでありながら、主将も経験した。人望があってこそ。個人的には50歳まで投げ続けてもらいたい。山本昌さんの記録を塗り替えてほしい。そして私が還暦を過ぎた頃、50手前の宮西に取材を申し込み、おっさんトークしたいわぁ。