【宮西尚生400H特別企画】〝恩師〟オリックス厚沢投手コーチ、ロッテ吉井監督が語る鉄腕のすごさ
かつての投手コーチも祝福 忘れられない思い出の数々
日本ハムの宮西尚投手(39)が4日のソフトバンク戦(みずほペイペイドーム)で、前人未到の通算400ホールドを達成した。
入団時の投手コーチで〝恩師〟だというオリックス・厚沢和幸投手コーチ(51)、ロッテ・吉井理人監督(59)に、まな弟子との思い出を語ってもらった。
1年目の春季キャンプで訪れたターニングポイント
宮西は事あるごとに、お世話になってきた人として厚沢投手コーチの名を挙げてきた。その言葉に「だろうね~。だいぶ、しかったこともあるけどね」と、うれしそうに笑う。プロ1年目の春季キャンプ。同じ左投手だった同コーチの助言で、投球フォームをオーバースローからスリークオーターに変えたことが転機となった。
予想を上回る大偉業 「10年どころじゃなかった」
「その当時、左のリリーフをつくらないといけない課題もあった中で、投げているボールの球質だったり、僕の中でドンピシャだった。この子だったら10年、ファイターズを背負ってやってくれるリリーフになるなと勝手に思った。10年どころじゃなかったね」
ルーキーイヤーから14年連続で50試合以上に登板するなど〝北の鉄腕〟と呼ばれるまでになった。
度重なるアクシデントにも負けずマウンドへ
21年まで日本ハムの投手コーチ、スコアラーを歴任し、身近で接してきた。「400ホールドのうち半分はどこかしら痛いながらも、積み上げてきていたんじゃないかなと思う」。何度も「一回、休むか」と声をかけたが、宮西は首を縦に振ることはなかった。
「今思い返しても、体の故障を抱えながらマウンドに上げさせてもらっていた。本当に普通の人だったら(登録を)抹消するレベル。でも絶対、アイツは休もうとせずに、骨を折りながら投げていた時もあったくらいだから。体の強さは尋常じゃない」。左肘に3度メスを入れ、14年には左すねを疲労骨折しながら投げ続けた。
まさに「プロ中のプロ」 若き日の上沢らにも影響
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その姿は、まさにプロフェッショナルだった。厚沢コーチは、当時若手だった上沢、浦野、中村勝ら投手陣を集めて、「おまえら、宮西を見てみろって」と話したことがあった。
「お手本にあげさせてもらったことがある。マウンド上の姿が、例えば名護(キャンプ)の紅白戦の姿と、日本シリーズの姿が全く一緒なのよ。アイツはその日の点数とか場所とかで、投げるモチベーションを一切、変えない。絶対、雑なマウンドにしない。プロ中のプロだと思います」
「すてきなおっちゃん」が教え込んだのはガラの悪さ!?
宮西が入団した08年に厚沢コーチとともに投手コーチを務めていたのが、前年に現役を引退したばかりの吉井監督だった。左腕が「すてきなおっちゃん」と慕う敵将は、「宮西に教えたのはガラの悪さだけです」とジョークを交えながら「厚沢コーチが左投げだから、2人でフォームのことはやっていました。僕が教えたのは戦い方だけ」と明かす。
『羞恥心』に植え付けたプロのセオリー
当時、人気だったアイドルユニットになぞらえ、宮西と星野八千穂氏(現広報)、坂元弥太郎氏の若手トリオを『羞恥心』と命名。「まだ、プロ意識がなかった。野球の頭、例えばバッターがフォークボールをケアしていたら、そこでど真ん中にフォークが抜けたら絶対、打たれるとか、そういうことが分からなくてヒョイと投げたり、先頭バッターを平気で四球で歩かせたり。基本的な野球のセオリーが分かっていなかった。誰かが失敗するたびに3人呼んで、話し合いをしました」
ルーキーイヤーから発揮していた賢さと強かさ
とはいえ、宮西がミスすることは少なかった。野球脳が高く「結構、強かな男なので、そのへんは分かっているんですけど。まだルーキーだったので」。自ら強みを理解し「あの風貌からは想像できないくらい、何でもちゃんとできる子だったので。本当、賢いですね。ちゃらんぽらんでイケイケに見えるけど、褒め言葉か分からないですけど、強か。自分の生きる術を分かっている」
さらなる飛躍に期待 「いつまでもやってほしい」
唯一、心配だったのは体の細さだった。「コイツ、大丈夫かなと思うような体形。今となっては鉄腕。トレーニングもやりますし、よくよく見たら骨格がガッチリしていますよね」
直球とスライダーの組み立てで圧倒する投球スタイルだったが、ここ数年でチェンジアップを完全習得した。「復活はそんなに驚いていません。(ファイターズで)知っているピッチャーが少なくなってきたので、いつまでもやってほしい」と期待を込めた。
変わらぬ仲間意識 「尼崎のヤンチャ坊主でいいのよ」
厚沢コーチも愛情たっぷりにエールを送る。
「他球団でも、僕は仲間だと思っています。アイツの中で怖いものはなくなったと思う。そういった時のアイツは怖いよ~。200勝、目指すとか言い出しそうじゃん。先発やるとか。いい顔でやっているから。やっぱり宮西はああでなくちゃ。これからも、殿様でいてください。尼崎のヤンチャ坊主でいいのよ」。チームが変わっても、恩師のまなざしは温かい。