北山亘基 大学3年時に書いた〝未来からの手紙〟
最適解を導き出し成長を続けてきた右腕
北山は、中途半端を嫌う。自分と徹底的に向き合い、必要な練習を考え抜いて取捨選択し、筋道を立てて目標に向かう。周りに流されず、納得するまで取り組みの効果を検証し、試行錯誤を繰り返しながら成長を続けてきた。
突然のコロナ禍 目の前が真っ暗になった大学3年の春
アマチュア時代から、能力向上につながる可能性があることは何でもやった。自然と知識が増え、プロ入り後についた愛称は「教授」。しかし、そんな右腕も過去に、暗中模索状態に陥った経験がある。4年前、大学3年に上がった頃だった。社会は新型コロナウイルスの猛威にさらされていた。
「特に僕の大学はクラスターが出てしまって、厳しい状況でした。本気でプロを目指していた中で、試合も中止になって、アピールの仕方も分からない。一番しんどい時期でした。基本、部屋の中でできる体幹とか、人のいない時に散歩をするとか、軽く走るぐらいしかできなくて、思うように練習ができない。それでも、ドラフトの時期は近づいてくる。今まで自分の中で、筋道を立てて目標に向かっていくのは得意ではあったんですけど、当時は本当にどうしたらいいだろうと、先が見えなかった。大学によって、練習できる大学と僕たちみたいにできない大学があって、不平等な感じがしながらも、ドラフトは平等に行われる。そこの焦りがありました」
不安の中でもがく自分へメッセージ 25歳になりきって
悩みの中で、不安や焦りにあらがうように未来を想像した。なんとなくではなく、とことん具体的に。そして、プロに入って3年目を迎えている4年後の自分になりきり、暗闇の中でもがく大学3年の自分に宛てて手紙を書いた。
机に向かったのは、2020年の7月27日。「書いた日の夜のことは、今でもすごい鮮明に覚えています。大学の寮の1人部屋で、部屋を暗くして、アロマをたいて、机の電気だけつけて、書きました。自分がプロに入ることを想像した時に、一番大事な時期、一つのターニングポイントはいつだろうと考えたら、3年目が勝負の年だと思いました。なので、その当時で4年後、2024年、25歳の7月27日の自分になりきるというか、本当に細かいところまでイメージして、その未来の僕が、当時の僕に手紙を出すというシチュエーションで書きました。じゃあ3年目は、ある程度プロにもなじんで、1軍で活躍しているだろう、していなきゃいけないだろうと。それを前提に、話を書いていきました」。全文は、以下の通りだ。
これからも、野球を楽しむんだよ
21歳の亘基へ
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こんばんは、元気にしてる? 僕は今も元気に過ごしてるよ。プロ野球の世界に入って、今年で3年目。少しずつ、プロの世界にも慣れてきて、今では、先発ローテを任せてもらってるよ。どこの球団に入ったかは、秘密にしておくね。(笑) 京産大での、残りの2年間は、今の亘基にとって、とても大切な時間になるよ。今は、コロナで思うようにいかない事もあると思うけど、この期間も、これから大きく羽ばたく為の、とても大切な準備期間になる。今は、少し将来の事が気になる時もあるかもしれないけど、亘基なら大丈夫。必ず思い描く未来を手に入れる事が出来る。とにかく今は、怪我と事故だけはしないように注意しながら過ごすんだよ。家族も、親戚も、友達も、先生も、指導者の方も、皆んなが亘基の事を応援して、支えてくれている。それだけは決して忘れずに、これからも、野球を楽しむんだよ。応援してるよ。
2024年7月27日 25歳の亘基より
優れた自己分析力 「現時点と未来を線でつなぐ」
まだプロ入りすら決まっていない段階でピタリと、プロ3年目での先発ローテーション入りを〝予言〟していた。予知能力のようにも思える力を、右腕は自己分析力の一種だと捉えている。
「自分を深掘りして、自分のことが分かって、周りの人のことが分かったり、今置かれている状況が分かったりすると、未来を見る力が養われると思う。手紙は、それを形にしただけ。未来を察知して、今どうあるべきかを考えて、自然体でその状況になる。そういう感覚で、日々を大切に過ごせば、勝手にそうなる。目標があって、今の自分があって、現時点と未来を線でつなぐ感じですね。そのつないだ線の上に、毎日乗り続ける。そこに意図的なもの、例えばあの日にこう書いたから、こうしないといけないんだ、という考えが入ると、うまくいかない。自然とそこにいられるような立ち振る舞いだったり、言動だったり、日頃の練習だったりをしていくことが大切。漠然とはしているんですけど、それが未来を見る力、第六感なのかなと思います。常に自分と向き合っていたから、未来が想像できる。プロになる保証もないところから、ほとんど手紙通りになっている。自分の中で都合良く解釈してやっているだけでは、その未来は来ない。努力という言葉は嫌いなんですけど、本当に自分自身と向き合わないといけないと思いますし、本当に自分の欠点だったり弱さだったりと正面から戦っていかないといけない」
何度も読み返し発奮 心の支えとなった手紙
4年間は、決して順風満帆ではなかった。想像した未来へ向かう途中、くじけそうになるたびに手紙を読み返し、心の支えとしてきた。
「大学4年生になって、プロ入りに向けてアピールしないといけなくて、プレッシャーに押しつぶされそうになった時にも、思い出して読んで。実際にプロが決まった後にも読みましたし、入寮した後、ここ(鎌ケ谷)で新人合同自主トレをしていた期間も読みました。ちょっとイメージしている自分から遠ざかりそうだな、停滞しているかもなと思った瞬間に毎回読んで、絶対、大丈夫なんだって確かめて。 去年の後半はプロに入って一番しんどかったんですけど、手紙を読んで、実際に未来の僕が僕に書いているわけなので、3年目はローテでしっかり回れるんだって、思い込むという言い方も好きじゃないですけど、めげずに頑張ろうとやった結果、本当に今年、頭(開幕)からローテを回ることができました。チームは補強もして、かなりローテの枠は埋まっていた。普通に見たら、僕なんか全然、期待値なんてほぼゼロに近かったと思うんですけど、そこで自分を信じてやって、一つの形になりました」
ぴったり4年後に訪れたサプライズ
〝未来の自分〟が手紙を書いた今年の7月27日には、サプライズがあった。
「戸田で2軍戦に登板して、寮に帰ってお風呂に入っていたら、金子さん(2軍投手コーチ)がいたんですよ。金子さんが最後、シャワーで汗を流していくタイミングで僕の横に座って、その日のピッチングの話をしてもらって、『お先』と言って上がって行かれたんです。よくよく考えたら、手紙を書いた当時、タブレットの画面がすり切れるぐらい、YouTubeで金子さんの密着動画とか、トレーニング動画とかを見あさっていた時期だったので、当時の自分に言ってあげたいですね。『4年後、想定外のけがをして、ファームではあったけど、画面の先にいた金子さんと風呂で野球の話をしていたよ』と。それを聞いても、本人は信じないと思いますけどね(笑)。お風呂でピッチングの話をしたと言っても、絶対に信じないです。金子さんは僕の中で、小さい頃からの憧れであり、プロに入ってからはターニングポイントだなと思った時にはいつもいてくれる存在。勝手ながら、そういう縁を感じています」
野球をしている少年少女へ、ファンへ 北山からのプレゼント
もともと、手紙を公開するつもりは一切なかった。成長の過程を大事にはしても、他人に見せる部分ではないと考えていた。それでもプロ野球選手として過ごす時間の中で、自身の影響力を自覚し、誰かの役に立てるならと考えを変えた。「この記事を読む野球少年少女、ファンの方、そういう人たちの人生にプラスになるものが少しでもあるならという気持ちです」
常に「今」を全力で 次は30歳になりきって
もちろん、プロ3年目がゴールではない。教授の頭には、すでに次の未来が描かれている。
「新しくまた、30歳の僕から手紙を書こうかなと思っています。だいたいのことは、もう想像しています。より高い目標になりますし、ただただ野球の目標を書くのではないと思う。自分が今、運良くプロ野球選手をやらせてもらっていて、ありがたいことに、多くの人に与える影響が大きい仕事をさせていただいている。その使い方を踏まえて、何のために自分は野球をやるのか、そういうところを書ければなと思う。自分だけ活躍してお金を稼いでも、その喜びは長く続かない。僕の人生の最終的な目標は、幸せな人生を送ること。人に良い影響を与えられる選手、人間になれれば、そっちの方が幸せだと思う。なので、野球はそのための一つの手段。たまたま野球ができる体に産んでもらって、そういう環境の中で運良く育って、技術も人間的にも成長させてもらったのが野球だった。それはしっかり野球の中で還元することを目指しつつ、30歳になった時に、人として、どうありたいかを考えて書きたい。一つ言えることは、現状には全く満足はしていないということ。次の手紙に書くレベルに到達するには、誰かに言われたことを、ただやっているようではダメ。自分でかみ砕いて、考えて考えて、感じて深掘りして、見えてくる発見を自分のものにして、ようやくたどり着ける。4年前、プロに入れるかも分からない時点で、3年目に先発ローテで回ることを決めて、そこに向かう覚悟を決めて手紙を書いた。今振り返っても、一つの成長のきっかけとして良かったと思う。当時の手紙は、本気でやっていたからこそ書けた内容だし、だからこそ、その通りに成長して来られた。でも、人生で一番、頑張っていた時期を過去に置くのは嫌。それは常に今にしていきたい」
前途洋々のプロ人生 さらなる高みへ
4年前に書いた手紙は、無名の大学3年生をプロのローテーション投手にした。新しい手紙もまた、北山が進む道を照らすだろう。