京都国際の道産子・服部が大けが乗り越え復活の決勝打【夏の甲子園】
■全国高校野球選手権第13日(8月21日、阪神甲子園球場)
▽準決勝 京都国際3-2青森山田
春は道産子2人が所属する健大高崎が優勝
4人の道産子がベンチ入りする京都国際が春夏通じて甲子園初優勝に王手をかけた。今春のセンバツ甲子園を初制覇した健大高崎に所属する道産子の石垣元気投手(2年、洞爺湖シニア)、加藤大成三塁手(2年、札幌新琴似シニア)に続き、道外の高校からの頂点を狙う。23日の決勝戦では、関東第一とともに初優勝を懸けて対戦する。
準々決勝で負傷した高岸の分も
「6番・一塁」で甲子園初スタメンに入った千歳市出身の服部颯舞(3年)が放った強烈な打球が、京都国際初の決勝進出をたぐり寄せた。2点を追いかける六回に3本の安打などで同点に追い付くと、1死一、三塁から服部の相手投手のグラブを弾く投ゴロで三走が生還し、これが決勝点。昨秋の近畿大会で負った右膝前十字靱帯断裂の大けがから復帰した服部が、準々決勝で負傷交代した道産子・高岸栄太郎一塁手(3年)に代わって、聖地で躍動した。
「高岸がけがしてたのでスタメンあるかもと、しっかり準備できた。芯には当たってた。(相手が)弾いてくれたので、自分も持っているなと。苦しい展開だったけど、整備後の六回からの攻撃で絶対に流れが来ると、言われていたので。そこでたたみかけて点が取れた」と声を弾ませた。
術後は歩けることが目標だった 「ここに立っているなんて…」
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一時は選手生命の危機だった。「手術した後は、復帰どうこうじゃなくて、歩けるのが目標。全く動かない状態からスタートしたので、ここに立っているなんて思わなかったですね。もう本当に日常生活もできないかもしれないという。よく戻って来れたと思います」。
ライバルの活躍から刺激もらった
辛いリハビリを耐え抜けたのは、ライバルでもあるチームメートの存在だ。センバツ甲子園には間に合わず、秋に服部が守った一塁は高岸が代わりに出場していた。「悔しい思いは絶対、夏の甲子園で晴らしてやろうと。そのモチベーションがあったので復帰できた。みんなの活躍も見て、言葉じゃなくてプレーで刺激をもらった」。今年4月に本格的な打撃練習を再開。春の大会後からは全体練習に合流し、高校ラストイヤーを懸ける夏へ、ギリギリで滑り込んだ。
札幌日大高戦で聖地デビュー
7月16日の京都大会3回戦で約8カ月ぶりに公式戦に復帰。同4回戦では「4番・一塁」でスタメン出場と順調にステップを踏んだ。甲子園では8月8日の1回戦・札幌日大高戦で九回に代打で聖地デビューすると、17日の3回戦・西日本短大附戦の九回に代打で甲子園初安打をマークした。そしてこの日、センバツ甲子園で敗れていた青森山田戦で初先発して、決勝打。センバツでは記録員としてベンチ入りしていただけに「センバツでは出られない悔しさがまず一番にあった。その青森山田戦に出れたのはもう素直にうれしく思います」。今度は背番号を背負って、リベンジに貢献した。
幼少期は千歳市で高岸と対戦
千歳泉沢小4年冬に父の転勤で京都に引っ越してから5年半後、遠く離れた京都国際で高岸と再会した。服部が少年野球の千歳向陽台ヒーローズ、高岸が千歳ガッツで「よく対戦してました」。服部は中学硬式の福知山ボーイズから京都国際へ。高岸も北広島シニアからチームメートの沢田遥斗外野手(3年)と京都国際へ。入学前、「インスタがつながって、高岸と話す機会があったけど、自分がどっかに行ったのは知っていてくれていた。何かの縁があった」。高岸も「小学3年の時から服部のことは聞いていた。話を聞いたときに『あの服部か』って」。今度はチームメートとして野球に打ち込んだ。
注目される2人に悔しい気持ちも
1年秋の近畿大会では、服部が背番号9、沢田が8、高岸が7で、道産子同級生3人が揃ってベンチ入りした。服部は出身中学が京都だったため、メディアには北海道出身者と気づかれず、高岸と沢田だけが道産子コンビとして紹介されることも。「2人が注目されていて、そこに対する悔しい思いも正直あった。追い越してやると思ってプレーしていました」。今度は道産子〝トリオ〟となって、しっかりと存在感を示した。
みんなの思いも背負って
初の頂点まであと1勝。「自分たちはベンチに入っている人だけじゃなくて、スタンドにいる3年生とか、応援してくれるみんなの思いが強い。決勝も絶対勝てると思います」。春に続き、2季連続で道産子球児が甲子園で全国制覇に貢献する時が迫っている。