《岩本勉のガン流F論》北山の好投でよみがえった記憶 手術を拒んで手にした意地の開幕戦完封
■パ・リーグ18回戦 ソフトバンク1ー6日本ハム(8月24日、エスコンフィールド北海道)
最高のプランニングで好投した北山
北山が〝ほころびゼロ〟のピッチングで、復帰後初勝利を手にした。最高のプランニングが奏功した。ホークス打線に対して1巡目は強いストレートでグイグイと攻めた。2巡目は一転、「どこか悪くしたか?」と思わせるほど変化球を多投。相手打線を翻弄した。
3巡目はミックス 消費カロリーの少ない122球
そして3巡目も見事だった。最後はいわゆるミックス。直球と変化球の駆け引きで常に優位に立った。相手の打ち気をそらして変化球で入ったり。まさに手玉に取った。スコアリングポジションに走者を背負ったのは1度だけ。ギアアップの必要もほとんどなかった。122球を投じたが、消費カロリーの少ないピッチングだった。
ただただ、大賛辞を贈りたい
復帰登板を果たした前回に続いての好投。今回は勝ち星が付いた。一番〝暑くて熱い〟時期に離脱。必要とされているチーム事情を知りながら、戦列を離れた。自責の念にさいなまれながらのリハビリだったはずだ。ただただ、大賛辞を贈りたい。ナイスピッチングやったで!
手術回避を選択 孤独でつらいリハビリの日々
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復活を期し、歩んできたリハビリの日々。そのつらさは痛いほど分かる。私は1998年の最終登板で右肩が飛んだ。関節唇のけん盤損傷を負った。手術を勧められたが、メスを入れることを拒んだ。医者に言われた。「手術しないで、投げるまでになるには相当の覚悟が必要。大変だよ」と。確かにそうだった。緩んで伸びた関節をリフトアップするために毎日の朝晩、インナーマッスルを鍛えた。地味だが、時間がかかり、苦しいリハビリ。オフ期間なので、トレーナーもいない。ただ、やり遂げた。
意気に感じた上田監督からの言葉
意地だった。98年の開幕戦で完封勝利を飾った。上田監督から「来年の開幕戦も頼むぞ。来年もいくぞ」と声をかけられた。冗談半分だったはずだが、期待に応えたかった。
2年連続の開幕戦完封で示した完全復活
迎えた99年の開幕戦。相手は近鉄だった。それまでのオープン戦や練習で1度も全力投球することはなかった。正直、恐怖心があった。ただ、本番だ。しかも開幕戦。そんなことは言っていられない。先頭の大村に対して思いっきり腕を振ってフォークを投げた。肩が戻っていることを確信できた。「俺の肩は治ったんや!」。そんな気持ちでボールを投げ続けた。結果は完封勝利。最後の打者を遊飛に打ち取った瞬間は…。ホッとした。喜びの感情はなかった。「野球をやめなくて済むんや!」「俺の肩は治ったんや!」。叫び出したい気持ちだった。
北山へ 「超一流のピッチャーになるんやで!」
だから分かる。北山の負傷箇所は左足。左右のバランスを整える作業には苦労したはずだ。投げられない中でも、打者をイメージし、トレーニングを続けてきたのだろう。苦労が結実した今回のマウンドだった。これからも頼むで!超一流のピッチャーになるんやで!