《岩本勉のガン流F論》ロマンしか感じない! 柳川よ、斎藤よ。身近に最高の手本があるじゃないか
■パ・リーグ17回戦 楽天3ー3日本ハム(8月27日、エスコンフィールド北海道)
一時勝ち越しとなる1点を献上した柳川
困難を乗り越えた先に成長がある。劇的な試合展開の中、2人のピッチャーが素晴らしい経験をした。まずは柳川。同点の九回に登板し、一時勝ち越しとなる1点を与えた。失点したシーンは遊撃手の水野に失策が記録されたのだが、柳川は先頭打者に四球を与えていた。その裏、味方が驚異的な粘りで同点に追い付き、黒星を回避できた。
絶体絶命のシーンで開き直った斎藤
2人目は斎藤。3―3の十一回に7番手で登板した。ヒット、自身のエラー、内野安打で無死満塁となった。ところが、この絶体絶命の場面で開き直った。ここから気合十分のストレート勝負で三振、二ゴロ、投ゴロ。1点も与えなかった。まるで優勝したかのようなガッツポーズに気持ちが表れていた。「自分の武器は直球。これがダメなら、この世界では食っていけない」。そんな声が聞こえてきそうな強い開き直りで、最も悔いが残らないだろうストレートで向かっていった。
忘れられない苦い経験 たまげた「おまえはトレードや!」
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私も苦い経験を持つ。1996年に初めて2桁勝利をマークしたのだが、翌シーズンは開幕から不調で、5月に遠征先の宿舎でコーチミーティングに呼ばれた。そこでいきなり、「おまえはトレードや!」。たまげた。冗談と知り、ホッと胸をなで下ろしたのだが、直後に「きょうからブルペンに入れ」とリリーフ転向を言い渡された。
リリーフ経験があったからこそのキャリアハイ
「やったるで!」と意気に感じ、先発再転向を勝ち取るためにも気合を入れ直した。だが、中継ぎは難しかった。サヨナラホームランを食らうこともあった。ここで学んだリリーフの過酷さ。この経験があったからこそ、私は先発に戻ってから、98年に11勝、99年にキャリアハイの13勝を挙げることができた。そして何より、完投にこだわるようになった。
宮西は最高の手本 試行錯誤を繰り返すブルペン
すべては自分次第。苦い経験もプラスに変えられる。身近に最高の手本があるじゃないか。宮西だ。この日も、コロコロと変化する試合展開の中、出番に向けて黙々と気持ちを高めていた。中継解説を務めながら、眺めていたブルペン。壁に向かって何かをつぶやいたり、ボールを見つめて集中力を高めたり。試行錯誤を繰り返すベテラン左腕の姿があった。
付け入る隙を与えなかった完全投球
上がったマウンドでは圧巻のパフォーマンス。十回、2者連続三振からの投直。付け入る隙を与えなかった。手術を乗り越え、400ホールドを達成してもなお、進化し続ける鉄腕。ロマンしか感じない。勝てなかったが、見応えのある最高の試合だった。柳川よ、斎藤よ。この日の経験を無駄にしたらアカンで!