現役ラスト登板のF鍵谷陽平を北海高の同期たちも応援 母校野球部の部長・立島さん「誇らしかった」
鍵谷と夏の甲子園に出場した同期
七飯町出身で今季限りでの現役引退を表明している日本ハムの鍵谷陽平投手(34)が25日、エスコンフィールド北海道で行われた楽天戦で現役最後の登板を行った。スタンドには、北海高3年時にエース鍵谷とバッテリーを組んで夏の甲子園に出場し、現在は同校野球部の部長を務める立島達直さん(34)ら同期たちが応援に駆けつけた。
お揃いの北海ユニホーム着て応援
初めての出会いから18年。立島部長は同期の中で現役最後の一人となった仲間の登板を、「みんなで並んで見ようって。同期18人ですけど、実際に来られるのは道外の人もいるし11人」とお揃いの北海のユニホームを着て応援した。引退セレモニーを見守ると「本当に感動しました。これだけの投手と一緒にやっていたのは、誇りです」と感慨深げだった。
最初は切り出せなかった引退報告
引退の報告は、約1カ月前。直接本人から知らされたという。「ハム時代はね、しょっちゅう会ってました。アイツの家も遊びに行ったし」と家族ぐるみの付き合いだ。「正直言ったら、(引退は)そろそろかなと思ってました。覚悟はしてましたよね、我々も。ただ、支配下になった時は『おっ、ここからだな』って。後半、クライマックスとか大事なところで必要とされたなと、うれしかったですけどね。多分、電話で一発目に言おうとして、朝早くに電話が来て、出た時は話を変えたんです(笑)」。8月末にエスコンで行われたプロアマ戦で帰道した際には、同期で集合。「その時にも多分言えなかったんですよね、僕らには。多分その時に言うつもりで集めたと思うんですけど、なかった」。後日、改めてLINEで報告されたという。
「何としてもハムで終わりたい」
現役時代、特に最初の日本ハム時代は頻繁に合っていたが相談などはなかった。「去年、ジャイアンツを戦力外になる時、コーチの打診もあったらしいんですよ。でも最後、何としてもハムで終わりたいっていう言葉が鍵谷らしいなって。すごい印象に残ってますね」。
本当に勇気と感動をもらった
北海高卒業後、鍵谷は中央大へ、立島部長は東洋大へ進学した。立島部長は「中央大の先発ピッチャーとして投げていたり、大事な場面で後ろを投げていたり、対戦相手でこんなこと思っちゃいけないのかもしれないですけど、めちゃくちゃ誇らしかったです。プロに行ってから、もう本当に誇りでした。テレビでよく勇気や感動って出てきますけども、本当に勇気と感動をもらった。これほどまでに(人の)頑張りが自分の原動力になるってことってなかなかないなって。やっぱり鍵谷だからですよね」。大学卒業後、鍵谷は日本ハム入り、立島部長は母校の指導者として、それぞれの道を歩んできた。
下宿に入ったときは「函館なまりがかわいい、陽ちゃん」
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高校入学時は鍵谷と立島部長ら新入生4人が同じ下宿に入った。「ぽちゃっとして、田舎の函館なまりがかわいい感じで。その時、名前は陽ちゃんだなって言ってたんですけどね」。当時の下宿は現在、立島部長が買い取り、野球部専用の下宿として切り盛りしている。鍵谷が入った部屋は歴代〝出世部屋〟となっており、昨夏のエースで鍵谷と同じ中央大に進んだ熊谷陽輝投手(1年)ら歴代の主力選手の部屋として引き継がれている。下宿には、鍵谷が3年時の南北海道大会で使用したグラブが大事に保管されているという。
スピンが効いて球質が良かった
初めてキャッチボールをしたときの衝撃は今も忘れない。「これが球質が良い球なんだなっていうのをすごい感じました。すごい良い球でした。スピンがかかってキレイな。僕も肩には自信ありましたけど、遠投は負けましたもんね」。1年秋から共にベンチ入り。バッテリーを組んで3年時には同校9年ぶりの甲子園出場をつかみ取った。
夏の大会時は高校生離れしていた
当時の思い出は数え切れない。「夏の試合全部ですかね。7試合全部アイツが完投したんで、結局。あの夏の鍵谷の闘志というか、俺で勝たないとっていう責任感というか、夏の大会が始まってからの、アイツの責任感から来る体のケアとか過ごし方は、本当に今思っても高校生離れして素晴らしかった」。
同期として見習うところ
母校のグラウンド一塁側には鍵谷から贈られたスコアボードが大切に使われている。「簡単な言葉ですけど、本当に優しい、思いやりがありますよね。言葉掛け一つそうだし、甲子園が決まっても最初に連絡が来るのは必ず鍵谷なんで。『何欲しい?』って。その辺の気遣いというか思いやりというか。偉ぶらないし、そこは同期としても本当に尊敬しています。見習わないとなって思います」。
クレインズの廃部で署名活動
また、当時アイスホッケー部の同級生で牛来拓都(33、明治大)、春田啓和(33、東洋大)らとも親交が深い。2人は所属先で鍵谷と同じ背番号「30」を付けていた。19年3月、春田が所属していたクレインズの廃部が決まった際には、プロ野球のオープン戦が行われた札幌ドームで署名活動に自ら進んで協力。同期の絆は何年たっても当時のままだ。
死ぬまで一生、仲の良い仲間
来年1月には立島部長が中心となって、同期やその保護者が一堂に集まるパーティーを計画している。「鍵谷の性格を考えたらゆっくりは多分しないと思います。次のステージに向けてまたやると思う。これからも本当に家族ぐるみで。一生仲の良い仲間ってそんなに多くはないと思いますけど、今後も一生、死ぬまで付き合っていきたい」。
引退する鍵谷へのコメントは試合後のセレモニーでも紹介された。立島部長はファンから惜しまれる仲間の勇姿を最後まで誇らしく見つめていた。