我が道を行く達孝太 成人式を欠席して「気付いたらいた」場所とは
■パ・リーグ25回戦 日本ハム3-0ロッテ(10月3日、ZOZOマリンスタジアム)
未開の森を切り開く大人になりたい
高卒3年目の達孝太投手(20)がプロ初勝利を挙げた。「未開の森を切り開いて、誰も歩いたことのない道を歩いて行くような大人になりたい」と20歳の誓いを立てた未完の大器が、大きな夢に続く記念の1歩目を踏み出した。
批判を恐れず目標はサイヤング賞
目標はメジャーでサイヤング賞。プロ入り前から批判を恐れず思ったことを口にし、我が道を行く性格だ。「ビッグマウス」「わがまま」「頑固」と、悪く捉えられることがあることは自覚している。それでも、周囲の雑音に惑わされることはない。野球が好きで、本気で世界の頂点を目指しているからこそ、人一倍のトレーニングと勉強を重ね、自分の信じる道を突き進んできた。
ルーキーイヤーから個性際立つ
プロ入り直後の新人合同自主トレ初日から、個性は際立っていた。全体でキャッチボールが始まる直前に突然、一人で練習の輪から離脱。他の新人たちと足並みを揃えることなく、入念なストレッチを行う姿は周囲を驚かせ、賛否両論を呼んだ。
「自分の体の状態を見て、決めました。きょうはいつもより少し、上半身が硬かった。そのままアップが不十分な中でキャッチボールに入って、けがしても何の意味もないので、少し遅れてやらせてもらいました」
ウオーミングアップの前にストレッチを済ませておけ、という意見に対しては、「アップの中でバランスが崩れることもある。全体練習の中のアップは自分に合っていない部分もある。それによって少し崩れた部分を、キャッチボールの直前に修正することで、効果的に感じるので」と主張した。この時、まだ17歳だ。
WBC決勝より練習 気持ちで負けたら負け
昨年のWBC決勝は見なかった。集まって観戦するチームメートたちに見向きもせず、自分の練習に集中した。「何か、見られなかったですね。何がそうさせているのか、全然分からないですけど。出ている人たちをすごいと思ったら、負けな気がする。気持ちで負けたら負け。見ている時間があったら、練習した方がいい」。
節目の式典よりも大切なこと
今年の3月に20歳を迎えた。しかし、同級生が揃って出席する1月の成人式には行かなかった。「友だちがあんまりいないので(笑)」と冗談めかしたが、達には節目の式典よりも大切なことがあった。「朝、気がついたらグラウンドにいました。午前9時から午後3時ぐらいまで練習していましたね。走って、キャッチボールして。夜6時からはジムに行きました」。
成長のため高額機器を次々と… ボディービルダーの動画も参考に
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高級な車など、嗜好品には興味を示さない一方で、成長のための〝投資〟は惜しまない。昨年6月には数百万円のハイスピードカメラを購入。「投球動作をめちゃくちゃゆっくり細かく見られるし、処理スピードもめちゃくちゃ早いので、買って良かったですね。処理スピードが遅いと、投げてから何十秒も待たないと見られないんです。これだと投げた後すぐに確認できるので、練習の効率が良いです」と満足げだ。
1年目のオフに買った約40万円の自律神経測定器「コンディビュー」で毎日、自身の体の状態をチェックしている。ピラティスマシンには約50万円を費やした。「ウエート用のバーに着けて、ジャンプしたりしたらそのスピードを測れる機械があるんですけど、それは2つ買いました。ウエートルームと部屋用。持って移動したらいいだけなんですけけど、2つ欲しいっていう欲望が勝って」。
ウエートトレーニングを重要視し、ボディービルダーの動画を好んで視聴する。トレーニングの方法、効果などを部位ごとにパワーポイントにまとめており、今季は鎌ケ谷で2学年上のドラ1ルーキー細野の〝先生役〟を務めることもあった。同学年で同じ長身右腕の福島、柳川は「あいつは脱いだらやばい。挙げる重量も半端ないです」と口を揃える。
すぐに答えは求めない
研究熱心で豊富な知識を持つが、安直に答えを求めることを嫌う。金子2軍投手コーチからチェンジアップを教わる際も、まずは1カ月、自己流で挑戦し、課題を明確にしてから質問に行った。あるときは、「豆腐と納豆」に疑問を持ち、思考を巡らせていたこともある。
「本人に聞いたり、ネットで調べたら多分答えがでちゃうので、聞かずに自分の想像の中で答えを出す方が楽しい。気になったことも、調べたら一発じゃないですか? それを自分で考えて、突き詰めていくことが好きですね。何気ないことでも。例えば豆腐と納豆って、漢字で書いたら絶対に逆じゃないですか。豆腐って『豆が腐る』って書く。でも、それって納豆じゃないですか(笑)。納豆って『納める豆』って書く。それって豆腐じゃないですか。だからあれ? と思って。そんなことも考えますね」
自らの誕生日にも日本ハムとの縁
高みを目指す20歳にとって、プロ初白星は通過点でしかない。日本ハムが北海道移転後初戦を迎えた2004年3月27日に産声を上げた男は野球界の〝開拓者〟となり、自分にしか歩けない道を切り開いていく。