【芸人インタビュー前編】初のキングオブコント決勝に挑む札幌出身のシティホテル3号室・亮太
12日にTBS系列で生放送
コント日本一を決める「キングオブコント2024」(TBS系列)の決勝が12日午後6時30分から生放送で行われる。タイタン所属で、札幌市出身の亮太(38)と神奈川出身の押田(38)がコンビを組むシティホテル3号室は初の決勝進出。同事務所としても初めてとなるファイナリストとなった。道新スポーツデジタルでは、道産子芸人・亮太をインタビューで深掘りし、2回に分けて紹介する。前編では、これまでの生い立ちや、芸人になる経緯などを尋ねた。
養成所を卒業し芸人人生がスタート
―ここまでの芸歴は
「芸歴がスタートしたのは養成所を卒業してからなので、そこからはもうずっとコンビです。養成所にいるときは1人で入ったので、相方を探す意味も込めて、相方求(あいかたもとむ)という名前でやってました」
―コンビを組んだきっかけ
「どう考えても相方を探しているじゃないですか。トリオで何かやりたいなと思っていたんですよ。で、相方の押田がそれを聞きつけて、養成所を卒業するちょっと前ぐらいに『入れてよ、3人でやるんでしょ』って。とりあえず2人で始めながら、3人にするかと言っていたんですけど、もう1人が集まらなかったです」
―元々コントをやりかったのか
「芸人始めてからはコントがいいなっていう気持ちではありました。元々はあんまり考えてなかったですね。お笑い始めるってなったときは別に漫才とかもって思っていたんですけど、押田と2人でやるってなったときにコントの方が合っているだろうなと」
―コンビ名「シティホテル3号室」の由来は
「本当にしょうもないですよ。押田と組んだときも3人になるための途中だったので、正式なコンビのつもりもなくて、ネタ見せの授業があったときに名前をどうしようってなって、僕がビジネスホテルのフロントでバイトをしていたので、ビジネスホテルで何かないかなと。でもビジネスホテルじゃ、ちょっとあれかと思って、もうちょっといいのにするかとシティホテルにして。3人でやるから3号室を入れて、とりあえずシティホテル3号室ということにして、3人目が来たときに一緒にみんなで考えようぐらいの感じだったんですけど、そのまま来ちゃって困ってます(笑)。ここまで来たら変えないとと思いますけど」
―芸人を目指したきっかけは
「小学生ぐらいのときからうっすらとありました。学習発表会やお楽しみ会とかで漫才をやるような、割と活発な小学生だったので、そのときに漠然と『いいなぁ』と思ってました。テレビっ子でもありましたし、ボキャブラ天国とかを見ていて、うっすらなりたいなとは思っていました」
―大学で上京した
「芸人になる、とはさすがに親に言えなかったので、大学に行くということにして、親元から離れて上京して、こっそり何かやろうかなと思っていたんですけど、いざ大学入って気が付いたら卒業となって、フラフラしていたんですよ。パチスロ風来坊みたいな感じで。どうしようかなぁと思っていて、一回養成所入ってみるか、みたいな感じですかね。放送作家になろうかなと思っている時期もあったんですけど、どっちにしろお笑いの世界に関わりたいなとは思っていました」
―横浜国立大卒業という高学歴
「何とか北海道から一回出たかった。親の目の届かないところに行きたかった(笑)」
―お笑いサークルなどはあったか
「たぶん僕が行っていた頃ってお笑いサークルはなかったんじゃないかと思いますね。今でこそ学生お笑いでけっこう有名なところもありますけど、それは芸人を始めてから知りました。落研もなかったと思います。全然、お笑い関係なく、自分で健康サークルをつくって普通に活動してました」
―小中高で入っていた部活は
「小学生のときにサッカーを4年間やっていて、中学では野球を3年間やりました。高校でも野球部に入ったんですけど、夏ぐらいに肩を痛めてしまって。病院に行ったら『全然大丈夫だよ。ちょっと肩を使い過ぎ』と言われて、騙し騙しやっていたんですけど、肩痛いのが治らなくて。どうしても痛かったので、次は大きい病院で精密検査をしたら『君は肩の構造が野球に向いてないから、上から投げるような競技はやらない方がいい』と言われました。ヤブ医者に大丈夫だって言われて、本当の医者にダメと(笑)。それで野球を辞めて、高校2年生ぐらいからボクシングをやってました。本当に遊び半分ぐらいで協栄札幌赤坂ボクシングジムに通っていました」
―芸人になると言ったときの両親の反応は