【一問一答】森本稀哲コーチ 引退のソフトバンク・和田をねぎらう 松坂世代の仲間
■秋季キャンプ(11月6日、エスコンフィールド北海道)
日本ハムの森本稀哲外野守備走塁コーチ(43)が6日、秋季キャンプを行っているエスコンフィールド北海道で取材に応じ、引退を決めた同級生のソフトバンク・和田毅投手(43)にメッセージを送った。同じ〝松坂世代〟で、夏の甲子園では本塁打を放った。プロで22年間、投げ抜いた左腕に敬意を払いつつ、労をねぎらった。一問一答は以下の通り。
―同級生のホークス・和田が引退
「辞めたか…という感じですね」
―松坂世代最後の選手が
「今年も投げていたので、ボールを見たら、まだできると思う。一方で、この年までやっていたのはすごいな、とあらためて思います。43歳で現役はすごい。本人もいろんな思いでここ数年はやっていたと思う。いわゆる松坂世代と呼ばれる選手たちがクローズアップされていて、どんどん抜けていって最後の1人に。できれば見ていたいし、応援したいし、辞めないでほしいと。皆さんと同じように僕らもそう思っていたんですけど、どこかで身を引くことになる。43で辞めますとなって、誰も何も言わない。メジャーも経験していますし。本当にお疲れさま、という気持ちしかない」
―1998年夏の甲子園。浜田高vs帝京高で、和田と対戦。ホームランも打っている。記憶は鮮明に残っているか
「いや、打ちやすいピッチャーだなと思って(笑)。実際は投球術にやられて、結果的にいいピッチャーだったんだと。その後、大学に行って、プロに入ってきて対戦した時にボールを見て、すごい努力をしてきたんだなと思った。そこからは全く歯が立たないイメージがありました。打ちづらかったですね」
―プロ入り後、対戦して印象に残っていることは
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「145キロぐらいなのに、150キロ以上の速さを目で感じるんですよ。和田くんと対戦する時は、剛腕と思って打席に立っていました。意外に真っすぐ一本でいかないと、打ち返せないピッチャー。それは覚えていますね。杉内くんと和田くんがそういうタイプでした。技巧派に見えると思うんですけど、あの時、打席に立った選手はみんな思っていた。真っすぐが速いと。でも、球速を見たら145キロぐらい。そこが彼のすごさだと思う。もちろんコントロールもいいんですけど、真っすぐを速く見せる技術というのは、今後、若い選手たちに伝えてほしいなと思います」
―コーチ復帰後、グラウンドで話す機会は
「もちろんあります。今年も話しました。『ホークスは先発ピッチャーの層が厚くて、なかなかチャンスが巡ってこない』というような話はしましたね。本人が納得して辞めるのなら、心からお疲れさまと。チームも違うし、そこまでプライベートで付き合いがあるわけではない…いや、ご飯に行ったことがある。忘れていた(笑)。日暮里のお好み焼き屋(笑)。まあ、十分じゃないですか、やり切ったと思う。また、プライベートでメシでも行きたいですね」
―あれだけ長く続けられたのはなぜか
「高校時代に球が遅かったピッチャーが大学に入って、あそこまで速くなるということは、相当、頭を使って、体のことを考え、技術を求めたから。そこの探究心が一番じゃないですか。つい最近、自己最速を更新(41歳で149キロをマーク)。化け物ですよね。野球に対しての向き合い方が、ほかの人よりもすごかったんじゃないかな」
―森本コーチから、どんなメッセージを伝えたいか
「直接、LINEで返しましたけどね、お疲れさまでしたと。その一言だけでいいかと。それで分かってくれる。今後のことは自分で考えればいいことですし。大卒で22年、43歳までやったんですよね。あとはゆっくりしてもらいたい。ただ、彼は優しいからコーチも向いているんじゃないですかね。人望もありますから」
―事前に引退の連絡を受けていた
「ゴルフ中に(メッセージを)もらいました(笑)。ボールが元気だっただけに、びっくりはしましたけど。43歳まで引っ張ってきましたから。勝手に僕ら同級生の思いを背負わせてしまった感じはありますね」