【プロになった道産子球児たち 指導者の目線】高校編 ⑦旭川実業・岡本大輔監督「玉井はのんびり屋さんだった」
遅咲きの苦労人が送った青春時代
北海道から誕生したプロ野球選手の学生時代を見てきた指導者に話を聞く企画「プロになった道産子球児たち 指導者の目線」。高校編第7回は旭川実業の岡本大輔監督(51)を紹介する。就任2年目の2010年夏の甲子園に出場し、当時3年生だった成瀬功亮投手(32)が巨人育成6位、玉井大翔投手(32)が大学・社会人を経て日本ハムにドラフト8位で入団。中継ぎの屋台骨を支えた遅咲きの苦労人が送った青春時代とは―。
教え子の近況は逐一チェック
プロに進んだ教え子4人の中で、大学・社会人を経てプロ入りしたのは玉井1人。今季は腰痛に苦しみ、プロ8年目で初めて1軍登板なしに終わった。「僕だけじゃなくてね、先生方もずっと応援してくれてる。玉井のことをずっと追っかけてくれてる先生がいて、けがしたのもその先生から。『大翔、けがしてますよ』って。電話したら『ヘルニアやっちゃいました』って。最近はサイドスローになったみたいですね」と、教え子の近況は逐一チェックしている。
最初のプロ輩出となった牧谷が基準
初めて関わったプロ入りした選手は、コーチ時代2年目に入学してきた牧谷宇佐美外野手(44)。「身長だって188センチありましたし、足も速いし、肩も強い。バッティングをやらせたら柵越えをポンポン打つし。こういうのが多分、プロ野球選手になるんだろうなって感覚でした」。
3年夏は旭川支部で敗れて甲子園には届かなかったが、その秋にドラフト2位でヤクルト入り。「『ザ・プロ野球に行く高校生』っていう感じだった。正直言って、そこのレベルに達しないと、なかなかプロと言っても、もっと頑張らなきゃねと、その後の選手たちにもずっと話していたんですよね」。プロを志す教え子たちを見極める基準になった。
成瀬はコツコツ派
監督に就任したのは2008年8月。その時には1年生に成瀬と玉井がいたが、「入学時は目立った感じではなかった」。成瀬は中学までエースの経験はなし。「良い、良いと言われながらも、力が発揮できていないような状況でした。正直言って、牧谷ほどの力はなかった。ただ真面目にコツコツと頑張る子でだった」。
甲子園で145キロ
それが、高3の春を迎え、コンスタントに140キロを連発。11年ぶりの夏の甲子園1回戦の佐賀学園戦で、五回途中からロングリリーフ。「ベンチにいる選手たちが『おぉー』って言ってるから、何かなと思ったら『球速表示で145キロ出てます』と」。成瀬はその秋、育成6位で直接巨人入りが決まった。18年の引退後もアカデミーでコーチを務めている。
「入団から引退まで8年間育成でいたのは、NPBでやつしかいないっていうこと。本当は支配下に入って1軍で頑張って投げてほしかったですけど、そういう選手でも8年残してもらって、なおかつ球団職員で残してもらったのは、我々にとって励みになる」と目を細める。
高校時代にもがいていた玉井 「フォームだけはすごくきれいだった」
成瀬の活躍の影で、もがいていたのが玉井だ。当時は「そんなに大きくなかったですし、体も細かった。でも投球フォームだけはすごくきれいだった」。中学までは自然豊かな佐呂間町育ち。「のんびり屋さんっていう感じ」。同期には才能豊かな投手が豊富で、「みんなを押しのけていくようなタイプの子ではなかったので、なかなかエースっていう感じにはならなかった」。そのまま埋もれてもおかしくはなかった。
勝利の方程式でストッパー
それが2年秋の新チーム発足後、練習試合などで「鈴木が先発して、成瀬が中継ぎ行って、最後に玉井が行く」勝利の方程式に名を連ねた。「球速も140キロまではいかないですけど、2年生の秋でも130キロ台中盤から後半は出ていた。投球フォームが安定しているので、制球力も安定してたもんですから、ストッパーを任せたんです」。全道1回戦では優勝した北照と対戦。玉井は0-4で迎えた八回に3番手で登板も、「ガンガン打たれて。西田・又野コンビにやられた」。結局、1アウトも取れず、3失点でコールド負けした。