コンサドーレ
2024/12/01 19:45

《広島戦後》J1だけで600試合を達成したかったという思いは今ちょっとある

■J1第37節 広島5―1札幌(12月1日、エディオンピースウイング広島)

―試合を振り返って
 昨日の他会場の結果によって我々の降格が決まり、今日という試合を迎えた。我々としてもこの試合で良いゲームをしたいと思って入ったが、なかなか難しいものとなった。そういうゲームになってしまったと思う。

 もちろん私も監督として、支えてくれたクラブ、パートナー(企業)、そしていつも応援してくれるサポーターのためにも、この2試合でしっかりいい試合を見せなければいけない、と選手に話したし、私も彼らのモチベーションを上げるために努力したつもりではあったが。

 前半の立ち上がり15分ぐらい、広島が非常に強い圧力をかけてきて、我々は苦しんでいた。そんな中、我々が先に失点してしまい、厳しい試合の入りになった。ただその後、選手たちはしっかり落ち着いて、自分たちのゲームを進めてくれたと思うし、その時間帯に関しては、我々が主導権を握って相手ゴールに迫っていくゲームができていたと思う。

 そういう中で我々が同点に追い付いて、前半アディショナルタイムになって、ほぼ残り時間がないという時に、サイドからの比較的ゴールから距離があったセットプレーだったと思うが、誰もボールに触らずに、そのままゴールに入るという、非常に不運な形で失点してしまった。ああいう失点は、なかなか起こることではないと思うし、非常にもったいなかったと思う。

【札幌が降格決定翌日に5失点大敗 FW鈴木武蔵同点ゴールも優勝争い中の広島に屈する】

 後半、自分たちが追いつき、逆転するべく、しっかり戦っていこうとハーフタイムで話したというのに、マイボールの状況で、その選手には決してプレッシャーがかかっていたような状況ではなかったと思うのだが、GKに下げたボールを相手に先に触られて、GKがファウルを犯してPKを取られるという、非常にもったいない3点目の失点だった。

 4点目に関しては、カウンターのシチュエーションだったと思うが、そこからアーリークロスを入れられて、中で合わせられて失点した。あのシーンを振り返ると、中にいた(広島の)選手は1人しかいなかった。あのボールを予測して、防がなければいけない失点だったのではないかと思う。

 うちの近藤友喜が(後半15分に)右サイドを突破したシーンも同じくらいのチャンスだったと思うが、そこは相手の佐々木選手がうまく止めてCKに逃げたというシーンがあった。そういった、決定的に試合を決めるような得点の場面での質の差というのは、やはり今日のゲームで見られたという印象を持っている。我々にもチャンスがなかったわけではないと思うが、残念ながらそうしたチャンスを決めきれないゲームになってしまった。

 もちろん広島にも得点シーン以外にチャンスがあったと思うし、特に最後の方は大味なゲームになって、広島の得点になってもおかしくないシーンはあったが、そのシーンでは得点はできなかった。ただそれ以外のチャンスで彼らは得点を重ねて勝利した。それは、広島には質の高い選手がいて、チームとして非常にオーガナイズされていて、規律のあるチームだからだと思っている。

 だからこそ彼らは優勝を争っているし、そうした小さいことの違い、積み重ねが、こうした差になるんだという印象を受けた。

―J2降格が決まったことへの自己評価は
 (監督就任以降の)6シーズン、我々がJ1に残留し続けてきた中で、今シーズンはそれを果たすことができなかった。もちろん非常に難しいシーズンの中で、いろいろな理由がそこには挙げられるが、細かい理由に関しては、今コメントする必要はないと思っている。

 ただひとつ言えることは、クラブ、そしてスタッフ、コーチングスタッフ、そしてサポーター、パートナー企業、いろいろな方々が我々チームをサポートしてくれていたと思う。そういう中で、唯一私だけがその期待に応えることができなかった。私が今シーズン、良い仕事ができなかった、それがこの降格の理由だ。それに関しては、私自身、監督として自分自身に責任がある。

 監督の仕事を7年やるというのは、普通の仕事だと14年分の仕事だと思う。そういう中で、我々はこの7シーズン、札幌らしいと言われるサッカーというものを見せてこられたと思う。それが札幌のサッカーの代名詞になった、という印象を人々に持ってもらう、そういうクラブになったと思う。

 J1でのシーズンで、やはりクラブとしても大きくなったと思うし、クラブとしての成長もあったと思う。今シーズン、我々は残留という結果を残すことができなかったが、そうした毎年の積み重ねと成長とは、必ず来シーズンのJ2の戦いに生きてくると思うし、そのJ2の戦いで、来シーズン必ずJ1昇格という切符をつかみ取ることができるのではないかと、私は思っている。

―今朝から監督の退任報道が出始めた。まだ明言されていないが、辞めることは確定なのか
 サッカーは面白いもので、いろいろな場面で面白い巡り合わせがある。18年半前、私が2006年6月に広島に来てから、日本でのキャリアがスタートしたが、それと同時に、(今季限りで現役を引退する広島の)青山選手もJ1デビューして、そこから彼はスターのキャリアをスタートした。広島で共に歩んだ時間があり、私は違うクラブに行ったが、その18年半後に青山選手が引退する年の最後のホームゲームに、私が他のクラブの監督として対戦するという、サッカーの世界ではそうした巡り合わせがあるんだな、と改めて感じたし、非常に宿命めいたものを感じた1日だった。

 その18年半の間に共に戦った選手たち、柏木陽介も引退したし、槙野も引退したし、森脇も今年引退する。(佐藤)寿人はだいぶ前に引退したし、森﨑和幸、浩司も引退した。共に戦ってきた多くの選手たちが、今キャリアを終えていっている。

 95%、私自身は監督としてのキャリアを終えるかもしれない。5%はまだ分からないが、札幌を率いることがもうないのは確定している。その中で、95%、私自身も監督としてのキャリアを終えるかもしれない。それはまだ確定はしていないと思うが、現段階の自分の中では、そういう気持ちだ。

 私自身は日本では3つのクラブで仕事をしたが、どのクラブでも若い選手たちを育ててきたという自負があるし、各クラブで攻撃的な戦いをするチームをつくってこれたと思う。私自身は、この札幌で来シーズンもやることはないと思うが、札幌ではまた若い指導者が、新たな気持ち、勇気を持って率いてほしいと思う。

 統計的なところは、私自身あまりこれまで気にしてこなかったが、ただもう少しで(J1で)確か600試合だったかな(※広島戦でJ1通算589試合目)と思う。少しだけ足りなかったのが、少し残念だ。08年にJ2を戦ったシーズンは42試合あったのではないかと思うが、そのシーズンを抜いて、600試合に少し足りないぐらいだったと思うので、それがあったら600試合を超えていると思う。J1だけで600試合を達成したかったという思いは今ちょっとあるが、(広島を長年取材しているライターの)中野さんは、その試合の数とか、当時のJ2のこととかをよくご存じなのではないだろうか。

 先ほども言ったように、日本では3クラブで仕事をさせていただいた。18年半の中で3クラブというのは、決して多いわけではないと思う。ただ、各クラブで非常に良い仕事をさせていただいたと思うし、各クラブでいろいろな方々の支えがあって、今の私があると感じている。

 どのクラブも、その後に試合で行った際に、(アウェーとなった)そのクラブで仕事をされている方や、応援してくれる方々が温かく迎えてくれるのが、私にとって非常に喜びだったし、非常に幸せなことだった。自分自身がやった仕事というものの後に何が残るのか、それを考えたときに、そういうふうに迎え入れていただけるということは、やはり自分の仕事は決して悪くなかったのだと確認することができる。

 そういう意味では、この18年半の3クラブでの仕事は、私にとって非常に誇りであり、そこで共に戦ってくれた皆さんが、私にとって常に大事な存在であるということに、本当に感謝しかない。

 少し長くなってしまったが、広島はまだ最終戦のセレモニーをやっているかもしれないので、少し私が時間を取っても大丈夫じゃないかな(笑)。

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