オリックス6位指名の片山楽生が母校・白樺高で報告会 上川畑との対戦は「ちょっと怖い」
白樺からは河村以来のプロ入り
10月のドラフト会議でオリックスから6位指名された音更町出身の151キロ右腕・片山楽生投手(22、NTT東日本)が6日、母校の白樺高で行われた報告会に出席した。同校出身としては2020年にロッテからドラフト4位で指名された河村説人投手(27、星槎道都大出)に続き2人目。片山は高校3年時にプロ志望届けを提出したが指名漏れ。卒業後は、社会人野球の強豪・NTT東日本で1年目から公式戦に登板したが、昨季はこれまでにはないどん底を経験していた。それでも自らの可能性を信じ、続けてきた努力が実を結んだ。
1軍での活躍を誓い、母校にエール
全校生徒に拍手で出迎えられた片山。報告会ではプロ入りまでの4年間を振り返り「1軍で活躍することは、すごい大変な世界ではありますけども、しっかりと活躍してテレビの向こう側で元気いっぱいの姿を見せられるように僕自身、精一杯、頑張ってまいりたいので応援の方もよろしくお願いいたします。本校からまたプロ野球選手が出る、そしてオリンピアンなど様々な世界で活躍されることを期待しております」とエールを送った。
満足な成績ではない中で三度目の正直
先輩の河村が指名を受けた4年前、自らも母校で待機していたが、最後まで名前を呼ばれることはなかった。ドラフト後、河村もこの日の片山のように母校を訪問していた。当時の片山は「指名報告会を聞いてる立場だった」が、現在はプロになる立場として肩を並べられるようになった。昨年も指名されず、今年は〝三度目の正直〟でつかみ取っただけに「本当にびっくりしました。今シーズン、僕なりに精一杯やってきたけど、プロに上位でいけるほど派手に活躍したかって言われると、そうではなかった年ではあるので、正直、びっくりですね」と、運命の一日を振り返った。
U-23日本代表としても実績
NTT東日本では、ルーキーイヤーに日本選手権と都市対抗野球の2大大会で登板。2年目は都市対抗で4強入り、日本選手権では準優勝に貢献した。22年10月には「WBSC U-23W杯」に出場した日本代表に選出。スーパーラウンド最終戦のメキシコ戦で先発すると、5回無安打と気を吐き、着実に実績を積んだ。
仲間に支えられ、心が折れかけた壁を乗り越えられた
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ところが昨季は「壁は何度もありましたけども、ここまで(心が)折れかけるような壁は、去年が初めてかもしれない」と、苦悩のシーズンを過ごした。「球速は出るけどピッチングができない。思うように投げられないので、制球がうまくいかなかったり。変化球でうまくコンビネーションが使えなかったり。ボール先行で行ってしまって、カウントがないところで真っすぐしか投げざるを得なくて、真っすぐを打たれるとか、ピッチングになってないなっていうのが3年目でしたね」。
それを支えてくれたのは高校時代と同様、チームメートの存在だ。「同期だったり、仲間に本当に恵まれてる。寮生活をしてるので、普段を共にするところが僕の支えになったのかな」と感謝した。
プロでは近しい人と対戦したくない
社会人1年目のチームメートには現在、日本ハムでプレーする上川畑大悟内野手(27)がいた。「いやぁ、ちょっと怖いというか、できれば対戦したくないですね。勝負の世界で近しい人間とはあまり対戦したくないなっていうところですね」。
1年目からエスコンで投げられたら
ただ、今後の活躍次第では地元・エスコンフィールド北海道のマウンドに立つ可能性もある。「1軍にいないとエスコンには来られない。やっぱりNTT東日本というチームを経てプロ野球に入りますので、しっかりそのプライドを持ちながら、1年目から1軍に食い込んでいけるように頑張っていきたい。その結果、エスコンで投げられたら」。まずは年明けの新人合同自主トレへ向け、「初心の心をもう一度、思い出せる」という母校で再スタートを切る。
■プロフィール 片山 楽生(かたやま・らいく) 2002年10月7日、音更町生まれ。右投げ左打ち。音更共栄中3年時にエースとして全国4強入り。白樺高では1年秋からベンチ入り。2年秋にエースナンバーを背負って秋季全道初優勝。その年の明治神宮大会では4強入りした。初出場するはずだった21年の選抜甲子園は新型コロナの影響で中止(記録は出場扱い)。8月に代替大会として行われた甲子園高校野球交流試合では、大トリで登場すると山梨学院に5回2失点と力投した。その後、プロ志望届けを提出するもNPB12球団からの指名はなく、NTT東日本では初の高卒選手として加入した。