《人ほっとコーナー》F清宮の父が共同運営する玄米うどん専門店のマネージャー・玉川雄太さん(24)
日本ハムの練習サポート4年間経験
「絵空事のうどんを日本全国の人に食べてもらいたいので、全国で店舗展開できたら」。そう自らの夢を語るのは、「絵空事」ニセコ店のマネージャー・玉川雄太さんだ。同店は日本ハムの清宮幸太郎の父・克幸さんが共同運営する玄米うどん専門店。かつて日本ハムの練習サポートのアルバイトとして選手を陰から支えていた玉川さんが、12月16日にオープンするニセコ店の運営を任された。
大学2年秋に準硬式野球北海道代表
真っ白に染まった地で、新たな一歩を踏み出す。北海学園大で準硬式野球部に所属していた玉川さんは大学1年からの4年間、日本ハムで打撃練習の際の捕手役を務めるなど、選手をサポートした経験を持つ。「すごく大きかったですし、その上で野球も上達できた」と2年秋には準硬式野球の北海道代表にも選出された。「みんないい人たちでした。先輩方にもめっちゃ可愛がってもらいました。この上ない経験だったなと思います」と振り返る。
清宮とは同学年ですぐ仲良しに
そして、何よりも大きかったのは同学年である清宮幸との出会いだった。清宮幸がルーキーイヤーの2018年、同じ年の玉川さんが接する機会は自然と増えた。キャッチボールの相手を務めるなど「そこから仲良くなっていきました」と信頼関係を構築していった。今では親友のような間柄で、今回のニセコ店オープンに向けても清宮幸から「もう楽しんじゃってよ」とエールを送られたという。
将来は記念館併設?「記念撮影のスポットになれば」
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店内の待合スペースには清宮幸のサイン入りユニホームと侍ジャパンで使用した打撃用手袋が展示されている。木の温もりを感じさせる店内の雰囲気も相まって、待ち時間も有意義に過ごせる空間となっている。玉川さんは「今後、バットとかスパイクとかも飾る予定なので、記念撮影のスポットになれば」と、小さな「清宮幸太郎記念館」併設をイメージしている。
今年2月に脱サラして上京
大学卒業後は総合食品メーカーに就職し、社会人の一歩を踏み出した。親交が深まっていた清宮幸の父・克幸さんから「いつか一緒に仕事をしよう」と声を掛けられていたが、今年2月に克幸さんから正式に誘われて上京。その後は東京・渋谷区にある1号店で運営に携わりながら、ノウハウを学んだ。
飲食店で働いたことのない玉川さんにとって、苦労の連続だった。「本当に一日通してやることが多いです。食のことにしか頭が向かなくなりましたね」。そして「満員電車が一番きつかったです」と、札幌とは比べものにならないほどの通勤ラッシュを思い返し、苦笑いした。
全国各地のうどんを食べ歩き
普段の仕事と併行して、全国各地のうどん屋に足を運んだ。「いろんなうどんを食べてきました。繁盛店も、屋台で出しているうどんも、もう食べれませんというぐらい食べました」。絵空事のうどんをより良いものにするため―。その一心で日々を過ごした。
お店を手掛ける克幸さんについて、玉川さんは「第2のお父さんみたいな感じです。清宮さんも僕のことを第3の息子と言ってくれています。清宮さんが思い描いているものに近づけるのが僕の役目」。頼れる右腕として、まずはニセコ店を軌道に乗せる。
ニセコに永住したいぐらい
ニセコには11月初旬に引っ越してきた。最寄りのコンビニまで徒歩1時間ほどかかるなど、不便さは感じているが「その中で工夫するのは楽しい。ニセコに永住したいぐらい」と話すほど、この土地を気に入っている。「地域の人たちがどういうところに行っているのかを知りたいので、地元の定食屋さんだったりコーヒーショップに行ってみて食べてます」と、あらゆる飲食店に足を運び、移住者の会にも参加した。
僕は僕らしく
そして、一つの答えにたどり着いた。「最終的にはやっぱり人なんですね。店長の人がどれだけいい人か、とか。お店の顔が、商品もそうですけど、人。僕もそういう風になりたいです」と目を輝かせた。「僕は僕らしくやっていければ」。ありのままの自分で、新たなミッションに挑む。
■絵空事ニセコ店
住所:北海道虻田郡ニセコ町曽我807-3
営業時間:正午~午後3時 午後6時~9時
定休日:不定休
■プロフィール 玉川 雄太(たまがわ・ゆうた) 2000年1月30日生まれ、札幌市出身。札幌新陽高、北海学園大卒業。大学4年間は準硬式野球部の活動と併行して、日本ハムの練習サポートのアルバイトを行う。今年2月から東京の玄米うどん専門店「絵空事」で働き始め、12月16日にオープンするニセコ店のマネージャーに就任。