コンサドーレ
2024/12/18 18:40

《元赤黒戦士の現在地・和波智広前編》地元・三重で2度目の現役 引退後もクラブに貢献

12年間在籍したJFLヴィアティン三重での活動について語る札幌OBの和波さん=撮影・工藤友揮

札幌時代に〝韋駄天〟と呼ばれた男

 かつて北海道コンサドーレ札幌で活躍したOBの現在と過去に迫る『元赤黒戦士の現在地』。今回は2001年から07年まで、主に左ウイングバック(WB)のポジションで活躍した「韋駄天」和波智広さん(44)を紹介する。前編の今回は、現役に復帰した13年から今年まで12年間在籍していたJFLヴィアティン三重での活動について話を聞いた。(以下、敬称略)

 07年限りで7年間在籍した札幌を退団した和波は、翌08年3月に現役引退を発表。その後は生まれ故郷である三重県に生活の拠点を移していた。引退から5年の月日が経過した13年、和波の元に、前年1月に三重県に設立されたサッカーチーム「ヴィアティンFC」(当時。13年途中に桑名、14年シーズン後に三重に改称)から加入オファーが届いた。「高校のときの監督さんが当時コーチをしていて、ちょっと助けて、という感じで声を掛けられたのがきっかけですね」。

2019年9月16日、試合でプレーする和波ⓒVEERTIEN MIE

 

ヴィアティンFCからオファー

 和波の母校・暁高で高校時代に指導を受けていた海津英志コーチ(57、14年から監督に就任)からの打診に応え、33歳となる年に和波は現役復帰を決断した。「地元にJリーグチームがなくて、サッカーをしている子供たちがどういうところを見て、どこを目指せばいいのかなと。スタジアムに行って応援したり、自分の目で見て『こういうふうになりたい』という場がなかったので、そういう場を早くつくりたいと思っていた。他の県のJクラブを見ないといけないという環境は、やっぱり寂しいなと思って」。

2019年9月1日、サポーターとハイタッチする和波(手前右)ⓒVEERTIEN MIE

 

チーム創設から5年でJFLに

 12年に三重県3部からスタートしたチームは、1年ごとに所属カテゴリーを上げていき、16年には東海1部に。同年のリーグ戦こそ3位に終わったものの、全国社会人サッカー選手権で3位に入って出場権を勝ち取った全国地域サッカーチャンピオンズリーグで2位に入り、クラブ創設から5年で、一気にJFLへと駆け上がった。

2019年7月3日、試合でプレーする和波ⓒVEERTIEN MIE

 

 和波自身は当時のプレーぶりを「僕にとってはリハビリしながらJFLである程度戻ってきたかなという感じで。年齢もそこそこいっていたから、若い子を育てながら、どれぐらいできるだろう、というのがありました」と振り返る。代名詞だったスピードは「自分としては衰えを感じていたわけです。これ、一歩先に出ないか、とかで。クロスを上げても、昔ならもう一歩深く行けたなとか、いろんなことを感じながら」と、当時の心境を吐露。「まだ僕が出ているようでは、このクラブがここから上を目指すうえでまだまだダメだな、と感じながらプレーしていました」。

僕らのスタイルをずっとやっているようでは…

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