《元赤黒戦士の現在地・和波智広前編》地元・三重で2度目の現役 引退後もクラブに貢献
札幌時代に〝韋駄天〟と呼ばれた男
かつて北海道コンサドーレ札幌で活躍したOBの現在と過去に迫る『元赤黒戦士の現在地』。今回は2001年から07年まで、主に左ウイングバック(WB)のポジションで活躍した「韋駄天」和波智広さん(44)を紹介する。前編の今回は、現役に復帰した13年から今年まで12年間在籍していたJFLヴィアティン三重での活動について話を聞いた。(以下、敬称略)
07年限りで7年間在籍した札幌を退団した和波は、翌08年3月に現役引退を発表。その後は生まれ故郷である三重県に生活の拠点を移していた。引退から5年の月日が経過した13年、和波の元に、前年1月に三重県に設立されたサッカーチーム「ヴィアティンFC」(当時。13年途中に桑名、14年シーズン後に三重に改称)から加入オファーが届いた。「高校のときの監督さんが当時コーチをしていて、ちょっと助けて、という感じで声を掛けられたのがきっかけですね」。
ヴィアティンFCからオファー
和波の母校・暁高で高校時代に指導を受けていた海津英志コーチ(57、14年から監督に就任)からの打診に応え、33歳となる年に和波は現役復帰を決断した。「地元にJリーグチームがなくて、サッカーをしている子供たちがどういうところを見て、どこを目指せばいいのかなと。スタジアムに行って応援したり、自分の目で見て『こういうふうになりたい』という場がなかったので、そういう場を早くつくりたいと思っていた。他の県のJクラブを見ないといけないという環境は、やっぱり寂しいなと思って」。
チーム創設から5年でJFLに
12年に三重県3部からスタートしたチームは、1年ごとに所属カテゴリーを上げていき、16年には東海1部に。同年のリーグ戦こそ3位に終わったものの、全国社会人サッカー選手権で3位に入って出場権を勝ち取った全国地域サッカーチャンピオンズリーグで2位に入り、クラブ創設から5年で、一気にJFLへと駆け上がった。
和波自身は当時のプレーぶりを「僕にとってはリハビリしながらJFLである程度戻ってきたかなという感じで。年齢もそこそこいっていたから、若い子を育てながら、どれぐらいできるだろう、というのがありました」と振り返る。代名詞だったスピードは「自分としては衰えを感じていたわけです。これ、一歩先に出ないか、とかで。クロスを上げても、昔ならもう一歩深く行けたなとか、いろんなことを感じながら」と、当時の心境を吐露。「まだ僕が出ているようでは、このクラブがここから上を目指すうえでまだまだダメだな、と感じながらプレーしていました」。
僕らのスタイルをずっとやっているようでは…
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〝2度目の〟現役生活は、JFLで3シーズンプレーした後、19年限りで幕引きのときを迎えた。「自分が現役でどうの、とかいう気持ちはあまり無く、このクラブをどこまで持っていって、次の世代、次の選手たちに渡せるかな、ということしか考えてなかった」と振り返る。「サッカーも、指導者も変わってきている。そういう中で、求められたことをしっかりとやる時代になって、僕らのようなスタイルをずっとやっているようでは、チームも次のステージに行けないと感じたので、いいタイミングかなと」。
三重といえばヴィアティンと言われるように
翌20年からはフロントスタッフを務め、21年6月からはトップチームコーチ、22年にはコーチとの兼任でスポーツダイレクター、24年は普及ダイレクターと、現役時代を含めてさまざまな立場で三重に関わってきた。今季限りで普及ダイレクターを退任し、クラブを離れることとなり、12年間在籍した古巣には「三重県といえばヴィアティンだよね、という存在になっていかなきゃいけない」と、地元を代表するチームになることを強く願っている。
「Jリーグに上がることが全てではない、というのは(クラブ創設の)原点ではあるが、ただJクラブにならないと成り立たないことも出てきている。子供たちもどこを目指すかと考えたとき、Jリーグで頑張っているヴィアティンが見たいんだ、そこでやりたいんだ、と思ってもらうことは、Jクラブじゃないとできないこと。クラブも今はまだ運営も大変だけど、このクラブに支えられたよ、というこの地域の人たちがたくさん知り合ってくれるような、ヴィアティンがあったから乗り越えられたよ、という存在になっていってほしい」。
今季はクラブ史上最高位のJFL5位に
今季は入れ替え戦で勝利し、J3昇格を決めた2位高知と、勝ち点差7の5位という、クラブ史上最高成績を収めた三重。和波からのエールを胸に、来季こそ三重県初のJリーグ昇格を成し遂げるべく、9年目のJFLでの戦いに挑む。
次回から、札幌在籍時代について振り返る。
■プロフィール 和波 智広(わなみ・ともひろ) 1980年4月27日生まれ、三重県出身。暁高から99年に平塚(現・湘南)入りし、プロキャリアをスタートさせる。01年に同年からJ1に戦いの舞台を移した札幌に加入すると、シーズン途中からチームの主力に定着。翌年以降もコンスタントに試合に出場し、札幌の中心選手として活躍した。04年に神戸へ期限付き移籍するも、同年5月、札幌に復帰。翌05年から2シーズンにわたってキャプテンを務めた。07年限りで札幌を退団し、翌年3月に現役引退を発表。13年に当時三重県2部だった三重に加入して現役復帰を果たすと、19年までプレーしてチームをJFLまで押し上げた。札幌での7年間のJ1・J2リーグ戦通算成績は174試合7得点。Jリーグ通算226試合11得点。現役時代のポジションはMF。