コンサドーレ
2024/12/21 18:00

《元赤黒戦士の現在地・和波智広中編》熱狂の2001年に札幌加入 〝ベストゲーム〟と語る一戦は

2001年5月19日、対磐田戦の後半18分、札幌初ゴールを決めた和波(中央)

 かつて北海道コンサドーレ札幌で活躍したOBの現在と過去に迫る『元赤黒戦士の現在地』。2001年から07年まで在籍していた和波智広さん(44)の中編は、北海道が赤黒の熱狂に包まれた01年シーズンを中心に振り返る。(以下、敬称略)

クラブ創設以来、最も盛り上がった年は

 今年でクラブ創設28年目を迎えた札幌が、最も大きく盛り上がったシーズンはいつだろうか。クラブが誕生した1996年、初めてJリーグの舞台で戦った98年、5度のJ1昇格に、近年では18年のJ1第4位や、ルヴァン杯決勝を戦った19年などが、候補に挙がるだろう。だがチームを、そしてクラブを取り巻く地域の人々の熱量が最高潮に達したのは、01年シーズンだったと言えるのではないだろうか。

 この年札幌は3年ぶりにJ1の舞台を戦い、クラブ史上初の残留を果たした。ハード面では前年秋に完成した宮の沢白い恋人サッカー場がこの年から本格稼働し、6月には新たなホームスタジアムとなる札幌ドーム(現・大和ハウスプレミストドーム)がオープン。約4万人収容のスタジアムのチケットが発売日当日に完売し、クラブの1試合入場者数の歴代トップ5のうち4試合はこの年の試合で記録された。道内民放各局が応援番組を制作し、選手たちは各メディアから引っ張りだこ。スポーツ紙は試合がない日も大々的にチームについて報じるなど、まさに札幌が、そして北海道が〝赤と黒の街〟となった1年間だった。

2001年7月21日、札幌ドームでの初戦となる横浜戦でイレブンショットを撮る札幌イレブン。和波は前列右から2人目

 

「言ってみればバブルのようで」

 そんな01年に、湘南から完全移籍で加入したのが和波だった。当時のチーム、選手を取り巻く状況について「言ってみればバブルのようで。宮の沢ができて、札幌ドームができて、などいろいろ重なって。本当に選手もちやほやされたし、そこで勘違いする選手も出たけど、こういう状況でサッカー選手をできるのは、最高だなと思いました」と、当時を懐かしむ。「街のサポーターたちの熱気も近くで感じたし、一歩間違えればダメな方に行ってしまうとクラブも危機感を持ってやっていた。ただ選手としてはすごくやりがいを感じていたし、当時の選手は本当にギラギラしていた。こういう中でできるというのは幸せだと感じていた」。

「1年目のキャンプはきつかった」

 札幌では現在も恒例となっている、シーズン開幕前の長期キャンプ。だが当時札幌ドームは開業前だった上に、宮の沢も芝生の根付きが十分ではなかったため、チームは3月末まで道外での調整を強いられた。和波も「正直1年目のキャンプはきつかった。なかなか自分の家に帰れないし、ホテルも2人部屋で、ストレスを抱えながら練習していた」と当時を振り返る。

 シーズン開幕から、カップ戦を含む公式戦4試合ではベンチ入りできなかった和波に、ついに試合出場の機会が訪れたのが、リーグ戦第4節、4月7日に室蘭入江陸上競技場で行われた〝道内開幕戦〟東京V戦だ。直近のリーグ戦3試合で左ウイングバック(WB)を務めていたMFアウミール(51)が負傷により出場を回避し、代わってスタメンに抜擢された和波は、札幌デビュー戦でいきなり大仕事を果たしてみせた。

2001年4月7日、対東京V戦で札幌デビューした和波(左)

 

和波のクロスを播戸が決めた

 札幌1点リードで迎えた前半20分、DF大森健作(49)とのワンツーで左サイドを突破した和波がゴール前にクロスを上げると、ニアサイドへ走り込んだFW播戸竜二(45)が右足で合わせてゴールネットを揺らした。札幌初戦で、和波はいきなりアシストを記録した。この試合を「自分の中のベストゲームのひとつ」と語る和波は、アシストのシーンについて「僕のクロスのタイミングと、彼のタイミングがドンピシャで合った。あれは練習に付き合ってくれて、お互いにやってきてつかんだもの。今でも播戸は『あれは忘れられない』と言ってくるし、僕もそうなので」。

2001年4月7日、対東京V戦でパスを出す和波(右)

 

岡田監督の信頼得て出場機会増やす

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