ロッテ入り茨木佑太が札幌で激励会に出席 阪神の兄・秀俊と「投げ合うって考えた時に…」
ロッテから育成2位で指名された札幌出身の茨木は激励会で意気込みを語った=撮影・西川薫
道産子では71年ぶり兄弟同時プロ
今秋のドラフト会議でロッテから育成2位で指名された札幌出身の145キロ右腕・茨木佑太投手(新潟・帝京長岡高3年)が21日、小中学時代に所属した出身チーム主催の札幌市内で行われた激励会に出席した。同校から2年前にドラフト4位で阪神入りした茨木秀俊投手(20)は兄。道産子では71年ぶりの兄弟同時プロが実現する。早い時点での支配下登録を勝ち取り、いつか投げ合える日を思い描く。
早くマリンで投げたい
約1カ月ぶりの帰省。この日に到着して22日には新潟へとんぼ返りする。激励会では当時のチームメートや指導者ら60人以上が出迎え、「懐かしいですし、光栄なこと」と頰を緩めた。兄と同じプロ入りに「本当に夢がかなったっていうか、プロ野球選手になれて本当にうれしいなって気持ちが一番。ロッテは応援が本当にすごい。たくさんの熱いファンがいて、すごい応援だなってイメージ。なるべく早く支配下登録して、マリンで投げたいですね」と気持ちを新たにした。

兄を追いかけながら芝草監督の存在も
野球を始めた頃からずっと兄の背中を追いかけてきた。中学硬式の札幌東リトルシニアでは、2年の時に利き腕の右肘を痛めて手術。リハビリ期間はポール間走を黙々と行い、エースとして復活を遂げた。3年生となって進路を決める際には「兄をずっと追っかけていたんで、それも大きいけど、やっぱり芝草監督の存在が大きい」と、元日本ハムで投手として活躍した芝草宇宙監督(55)の指導を受けるために新潟へと渡った。
指揮官直伝の投球術でメキメキ成長 「試合で考えて野球ができないと…」
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1年夏からベンチ入り。兄弟リレーで登板するなど注目を浴び、新潟県大会決勝で敗退後は兄の背番号「1」を受け継いだ。入学時、82キロだった体重は、3年間で93キロへ増量。最速も3年夏には145キロまで伸ばした。芝草監督からは「試合で考えて野球ができないと上で通用しないって言っていただいたのが(良かった)本当にそこが一番」。指揮官直伝の投球術でマウンドさばきもメキメキと成長。「ピンチになっても動じずに、普通に自分のピッチングができるようになった」。
最後の夏、新潟県大会決勝で再び敗れ、兄弟悲願の甲子園には届かなかった。「悔いはすごい残っているけど、でも帝京長岡に入って良かった。北海道にいたら感じられない3年間の経験が本当に生かされた。とても大きかった」。これからはプロで活躍し、母校の名前を世に広めることで恩返しする。
1954年には田原兄弟が活躍
道産子の兄弟同時プロは、1954年に中日でプレーした兄・田原基稔投手と弟・藤太郎投手(共に北海高出)以来。現役はNPB全体を見渡しても数える程度だ。「自分は兄を追っていくだけというか、すごい良い見本があったので、それをしっかり見習ってやった結果だと思うので、それに関しては兄が本当にすごい」と尊敬する存在だ。
強気の投球で155キロは投げたい
兄はプロ入り後、最速が150キロまで伸びたが「やっぱり155キロ前後は投げたいなっていうイメージはあります。勝ちにこだわる、チームの勝利に導くような、強気にどんどん向かっていくピッチングスタイルは自分の売りなので、それも貫けるようにしていきたい」と理想像を思い描く。
1軍での対決夢見てまずは体力づくり
リーグは違うが、「投げ合うって考えた時に、やるならZOZOマリンか甲子園」と1軍同士での対決を誓った。支配下となれば、交流戦や日本シリーズでの対決へと夢は広がる。年明けの新人合同自主トレへ、「プロで通用する体づくりと体力づくり」が最初の目標。いまはまだ背番号は3桁だが、一日でも早く2桁にするためにルーキーイヤーからしっかりとアピールする。
