【一問一答】フルコミット誓う石水創新社長「父の夢にはまだ続きがあった。自分が引き継いで叶えたい」
■キックオフ2025(1月26日、札幌文化芸術劇場 hitaru)
北海道コンサドーレ札幌の代表取締役社長に就任した石水創氏(42)が26日、新チーム発表イベント「キックオフ2025」を前に囲み取材へ応じ、社長就任の経緯、J2から再出発するクラブへの思いを語った。若きリーダーは愛するチームの経営環境を整え、恒久的な発展に力を尽くす。一問一答は以下の通り。
辞任を申し出た三上GMを説得
―社長就任までの経緯は
「降格が決まった試合の後に、三上さんから私に『今年でGMを降ります。責任を取って、チームを辞めます』というお話があった。クラブのことを考えたときに、三上さん1人の責任ではない。問題は強化と経営の両方だ、と。野々村さんが辞めてからの3年間は三上さんがほぼ全てやっている状態だったので、私にも責任があると思い、今季から社長業をやろうという決断をしました」
―最終戦のスピーチで発表した際にサポーターから大きな拍手を受けた
「すごく心強かったです。その拍手があって、その後の社長就任コメントを出した後も、サポーターの多くの方が『応援します、支えます』と言ってくださった。思いがガッと固まって、やるぞという気持ちになりました」
―チームへの期待と手応えは
「今年はJ2からのスタートになりますけど、降格したからこそ、いろいろなことをリセットしたり、やり直したり、改革もしやすいのかなと思います。沖縄キャンプも行きましたし、雰囲気はすごくいい。岩政新監督の下、期待に満ちあふれている感じがする。目標も明確で、J1昇格の一点に尽きる。手応えはすごく感じてます」
―チームの目指す未来像は
「コンサドーレのカルチャーは来年で30年になります。30年間、築き上げてきたもの、それはサポーターの熱さや、支えてくださるパートナー企業の方々の思い。その熱い期待に応えたい。今年はJ1昇格が一つの目標ですが、J1には忘れてきたものがある。Jで日本一になる、タイトルを獲るっていうところを、しっかりとやっていきたいなと思います」
―サポーターと距離が近い存在。オープンな情報発信など意識することは
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「今まで以上にオープンにしていきたい。経営の部分の数字など、そういったところも全てオープンにした形で、いろんな物事を決めていきたい。私は29年間、サポーターとして応援してきた自負があります。サポーターはホームのスタジアムの雰囲気はもちろん、アウェーの試合でも北海道を感じられる。北海道の誇り、勝った試合の喜び、そういったところをより多くの方に感じてもらいたいと思っています」
―クラブの分岐点となり得るシーズン。変えなければいけない部分は
「経営側の目線でいうと、フロントと現場との距離感です。そこの情報共有。もっともっと近くなる。情報はもちろん、距離感をもっと縮めていかないといけないのかなと思います。社長としては、クラブの歴史やパートナー企業との関わり方、そういったことも同時に伝えることができればと思ってます」
―岩政新監督に求めるもの
「沖縄キャンプでは岩政監督とお話させていただいた。実は同い年で、すごく通ずるところもあった。すごくコミュニケーションを大事にされている方。言語化がすごく上手な監督で、マネジメントが本当に上手。これは経営者としても見習う点が多々ある。チームを強くすると同時に、岩政さんのマネジメント力も外に対して発信していってほしい。本当に勉強になるので」
―父の石水勲さんが愛したチーム。意思を引き継ぐ思いは
「私の父はチーム創設のときから(クラブに)関わってきて、私も小さい頃から石屋の話以上に、コンサドーレの話をすることが多かった。おそらくですけど、父の夢にはまだ続きがあったと思う。その夢の続きを自分が引き継いで、どんどん叶えていきたい」
―経営に関わることは目標だったか
「いえ全くなかったですね。自分はどちらかというと、経営に関わるというよりも、オーナーになって好き嫌いを言いたい。そういう思いの方が強かったので(笑)。経営に関わるからには、強化と経営の両輪を回して、3年をメドに安定した経営環境をつくっていきたいなと思います」
―石屋製菓と二足のわらじになる。どのような比率でコンサドーレに関わっていくのか
「9対1ぐらいですかね。コンサドーレ9。いや、違いますね。10対1ぐらいです。コンサドーレにフルコミットなので」
―クラブのスーツを着ると引き締まるか
「スーツを着て、あっ社長なんだなっていう実感が湧きました。喜びが大きいですね」
―石水勲さんが『あとは任せた』と
「言葉だけじゃなくて、実際の行動として父から頼まれたので。それを引き継ぐ。そんな思いです」
―墓前に報告は
「しました。札幌ドームの最終戦、柏戦に行く前も行きました。年末年始も報告しました。(草葉の陰から)『頼むぞ』って言われました」