《岩本勉のガン流F論》復活を期すプレーヤーに言いたい ハエ叩きで開眼した自らを重ね合わせて
見事だった玉井の投球 1回パーフェクト
今年に懸ける並々ならぬ決意。1イニングのみの登板だったが、十分に伝わった。玉井だ。
8日の紅白戦。白組の2番手で登板し、浅間を投ゴロ、郡司を二ゴロ、清水を三振に仕留めた。郡司を見事に差し込めていたし、清水から三振を奪ったカットボールは、曲がるというより〝やって来ない〟ボール。高さを低くキープしながらのもので、打者にとっては実に厄介だろう。
生まれ変わったプロ9年目の道産子右腕
ニュー玉井とでも言おうか。いや、ネオ玉井と表現しようか。完全にサイドスローのピッチャーに生まれ変わった。負傷などもあり、昨季は1軍マウンドに上がることがなかった。年齢も年齢だ。腹をくくったはずだ。
手首の角度に見た完璧なフォーム改造
昨秋、エスコンで見た時には、まだサイドになりきれていなかった。当時と今回では手首の角度がまったく違う。昨秋は手首がまだ立っていた。オーバーハンドで上から叩いてきた投手だ。当然だろう。それが今回は、しっかり寝ていた。サイドの軌道で体を動かしているのに、腕だけは上から叩きにいっている。となれば、当然、体に無理が来るし、タイミングもズレてしまう。もう、その心配はなさそうだ。
過去の自分と決別し、力強く前に進んでいる。
間近に存在するレジェンド左腕から刺激
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親しい間柄の宮西。彼の存在も大きい。数年前の宮西も、今年、復活を期す玉井と同じような立場だった。そのベテラン左腕が昨季、完全によみがえった。カムバック賞を与えたいぐらいだ。玉井にしてみれば、「次は俺だ!」と意気に感じているはず。「ロマン第2章~玉井大翔」ってとこや!
イップスで1日1000球のネットスロー
一度、死んだ身。私は過去に2度、そう思って開き直ったことがある。最初は若手だった3年目。イップスを発症してしまった。試行錯誤の末にサイドスローにも挑戦した。毎日のようにネットスローを繰り返し、300個入りのかごが3個を超える日もあった。気付けば、球数は1000球を上回っていたのだ。
大石清コーチの助言でエースの道へ
2度目はコーチに救っていただいた。1990年に入団し、94年まで1軍未勝利。伸び悩んでいた。迎えた95年春。当時、投手コーチだった大石清さんにハエ叩きを渡されて「振ってみろ」と言われた。「俺の手の上にハエが止まっていると思え」と。ハエを叩く時って、そーっと動いて、パチンと仕留める。その瞬間、大石さんは「それがインパクトだ!」と。「そうやってボールを手放せ」と。
リリースは自然とスリークオーターになっていた。インパクトと腕の位置。その後のピッチングが固まったシーンだった。子どもの頃から練習してきたオーバーハンド。苦境にある中でトライしたサイドハンド。その2つがぴったりと融合された。
すべての復活を期すプレーヤーに告ぐ!
だから思う。玉井に限らず、石川も堀も。今年、復活を期す選手は多い。そんなプレーヤーに言いたい。なんとか可能性を見いだしてくれ!と。