昨秋8強入りの札幌南 道産魚雷バットで旋風再び
道産ダケカンバ材で作った〝魚雷バット〟=撮影・西川薫
メイドイン北広島
昨秋11年ぶりに全道8強入りした札幌南が、強力な新兵器を導入した。3月に北広島市内に発足した「日本野球の杜」を通じて作成した、北海道産ダケカンバ材を使った〝魚雷バット〟だ。さらに同校が保有する学校林に群生する白樺の間伐材を利用し、練習用の木製バットも初めて作成。昨秋はスタメンの半分以上が市販の木製バットを使用して話題を呼んだが、今年は「メイドイン北広島」のバットで、再び旋風を巻き起こす。
【2000円お得! 年払いプランはコチラ】
世界でオンリーワンのバットだ。長さは84センチ。従来モデルより手元側になる芯部分の太さ(直径)は65.5ミリ。バット先端に向かって細く絞られ先端部の太さ(直径)は56ミリ。メジャーリーグでは、魚雷に似た形状から〝トルピード(魚雷)〟と呼ばれている。今年1月、ヤンキースが使い始めたのを知った田畑広樹監督(42)がすぐに製作を決断。4月に試作品が届き、練習試合ですでにデビューしている。
高校野球の公式戦でも使用可能
魚雷バットは、NPBでも日本ハムの万波が練習で使ったほか、18日には西武の源田が公式戦で初めて使用するなど脚光を浴びている。16日に全日本野球協会がアマチュアの各競技団体に通達。高校野球の公式戦でも使えることが確認された。いま練習試合で使用している魚雷バットには、雪の結晶をモチーフにした同校の「六華同窓会」のマークが焼き印されているが、そのままでは公式戦で使用できないため「BFJ」規格の入ったバットを、12日の札幌支部開幕に向けて2本発注済みだ。
4月10日、楽天戦の試合前練習で魚雷バットを使用する万波
選手の評判も上々だ。同校は22年秋に札幌支部のチームによる独自リーグ「リーガアグレシーバ」に参加。その中のルールのひとつに「バットは金属ではなく木製や低反発金属を使用」とあり、練習では全員が木製バットを使用している。昨秋は公式戦で金属バットを使用していた村尾壮太主将(3年)は「重心が下の方にあり、僕のスイング的にも、今までなら根っこであまり飛んでいなかった打球も、芯に当たって飛ぶようになった。自分としては使いやすい」。同じく金属組の主軸・本間流郁投手(3年)も「木製で冬に練習すると木製に合ってきて、木製の方がしなりが良くていい」と、新相棒に指名した。
道産ダケカンバ材で作った〝魚雷バット〟を手にする村尾主将(左写真)と主軸・本間(右写真)
指揮官が学校林の活用を提案
この記事は有料会員限定です。
登録すると続きをお読みいただけます。
同校の学校林を活用するプランも、OBの指揮官が発案した。豊平区有明にある全長1.2×0.9キロの広大な敷地で、1911年に当時の皇太子(後の大正天皇)の同校訪問を記念して植林したのが始まりとされ、現在は一般財団法人北海道札幌南高等学校林が管理している。毎年夏に1年生による学校林の笹刈りは、同校の恒例行事だ。
道産ダケカンバ材で作った〝魚雷バット〟
道産バット振興活動にモニター協力
田畑監督は、2年ほど前から北海道大学の加藤博之准教授らが官民一体で取り組む、北海道産ダケカンバ材を使った道産バット振興の活動にモニターとして協力。昨秋の全道大会中に市内で行われた講演にパネリストとして登壇したことも。その中で「そういえば学校林の木材があるな」と、アイデアが浮かぶとすぐに行動に移した。全道大会後、関係者をつたって同財団のミーティングに出席。「こういう風に秋やってきて負けてしまったが、ぜひ学校林の木でバットを作って試合に出たい」とプレゼン。熱意が通じ、同財団から丸太を2本譲り受け、今春までに7本ほどの木製バットができあがった。
札幌市内にある学校林で木の枝を伐採した札幌南の野球部員
「愛着湧いた。使い続けます」
昨年も木製バットを使用していた主砲の斉藤遼平捕手(3年)は、昨年9月に「札南昆虫研究会」を発足。「学校林への調査という形で、みんなで学校林へ行くことを複数回重ねて、木の植生調査や昆虫の調査もした。身近な学校林でバットが作られていることにすごく感動して愛着が湧いた。使い続けます」と地産地消の活動に胸を張った。
4番候補の斉藤
将来的には学校林の間伐材を使ったバットで公式戦を戦うのが理想だ。「もし公式戦で使えないものだとしても、学校の授業などで、森林の活用といった文脈で、生徒たちに考えさせることができるのではないか、と考えていた。そこへエスコン近くにバット工場ができて、そういった活動を推進しようとしていると知り、思いを共有するところがあった」。いくつもの点が集まり、大きな流れとなった。
昨秋3回戦で感じた全校応援の盛り上がりを再び
昨秋、8強入りした2回戦の函大柏稜戦では、全日制、定時制合わせ1000人以上の全校応援と多数のOBがプレドに駆けつけた。「OBの方々の前で、野球が久しぶりに脚光を浴びたので、周りの熱量というか、機運と言いますか『甲子園にもう一回行くぞ!』という雰囲気が、いろいろなところで感じられるようになり、生徒たちも襟を正し、意気に感じている」。村尾主将は「北海道で1番になり甲子園行くことを目標にずっとやってきた。そこをぶれずにやっていけたら」。札幌南の〝魚雷打線〟が甲子園を狙い撃つ。
