≪道産子F戦士北広島で俺は≫②玉井 道産子リレーで初ホールド狙う
勝利の方程式担うオホーツクの星
2023年春の新球場開業まであと1年ちょっと。その日が近づくにつれ、マウンドに立ちたいという思いは増してきた。
「初めて投げる新球場では、(中継ぎで)勝っているところでいきたいなという気持ちはあります。一人目のホールドを取りたいです。同じ道産子の伊藤や杉浦さん、福田が投げて、つないでいければいい話になりますよね」
建設地を訪れたことはないが、球団のアナリストから札幌ドームに比べて球場が狭いと聞いた。右打者の内角をえぐるシュートが武器の右腕は、前向きに捉えている。
「球場が狭いみたいなのでピッチャーとしてちょっと嫌だなという思いもありますけど、僕はゴロピッチャーという認識でやらせてもらっているので強みを出せるのかな。逆に成績があがっていけるのかなとも思います」
球団が進めるのは「世界がまだ見ぬボールパークを創る」。球場だけではなく、敷地内には飲食や宿泊、レジャー施設などが併設される予定だ。
「マンションや温泉、商業施設ができるんですよね。球場周辺が栄えるのは楽しみ。野球以外にも楽しみができて、お客さんが来てくれればいい。新しい野球の文化が生まれればいいなと思います」
道東の佐呂間町生まれ。少年時代、片道4時間以上かかる札幌ドームへ観戦に行くのは年に1度あるかないか。森本稀哲氏のイメージカラーでもある緑色の扇子を買ったことは今でも覚えている。
「両親がファンクラブに入っていて、僕もファイターズに入りたいなと思っていましたが、プロ野球は身近じゃないイメージでした。だからこそ、ふらっと球場に寄れるようになればいいなと思います」
ドラフト8位指名から、中継ぎ投手としての地位を確立。地元球団の主力選手に成り上がった男は、人々の笑顔が集う場所になることを願っていた。
旭実時代は3番手
旭実高時代に、旭川スタルヒン球場でうれしさも悔しさも味わった。3年夏の北大会。チームは甲子園出場を決めたが、3番手投手だった玉井の出番はなかった。「3年生になってから公式戦で投げられなかった」と振り返る。
その悔しさは糧になった。高校卒業後は東農大網走に進学。網走、苫小牧、函館といった道内各地をバスで転戦する道6大学リーグで腕を磨き、全国大会を経験した。
社会人を経て、プロ入り。2年目の2018年9月4日の西武戦では、日本ハムのユニホーム姿で、念願だった旭川スタルヒンのマウンドに立つことができた。「まさかプロで、あのマウンドにあがれると思っていなかった」。友人らが応援に駆けつける中、中軸を3者凡退に仕留め、凱旋登板を飾った。
「より一層、気持ちが入る球場」に、19年以降は登板機会に恵まれていない。来季は8月2日にソフトバンク戦が予定されている。成長を遂げた姿で原点の地に帰る。
■プロフィール
玉井大翔(たまい・たいしょう) 1992年6月16日生まれ、佐呂間町出身。佐呂間小1年時に野球を始め、佐呂間中時代は軟式野球部に所属。高校から旭実に進んだ。3年夏に甲子園に出場したが、登板機会はなし。大学は東農大網走に進学。1年春にリーグ開幕戦の函教大戦で先発するとノーヒットノーランを達成。全日本大学選手権には2度出場し、4年時にベスト4入り。卒業後は新日鐵住金かずさマジックに入団した。2016年のドラフト会議で日本ハムから8位指名されてプロ入り。中継ぎ投手として活躍する。右投げ、右打ち。178㌢、79㌔。