陸上女子 福島 「幸せな競技人生だった」笑顔の引退会見
陸上女子短距離で100メートルと200メートルの日本記録保持者であり、2008年北京五輪から3大会連続出場した幕別町出身の福島千里(33、セイコー)が29日、オンラインによる引退会見を行った。昨年9月の全日本実業団対抗選手権で結果を残すことができず、引退を決意したという。「幸せな競技人生だった」と振り返り、今後は同社「セイコースマイルアンバサダー(スポーツ担当)」として、未来ある子どもたちに陸上の楽しみを伝えていく。
国内女子のトップランナーとして走り続けてきた道産子スプリンターが、23年の競技生活に終止符を打った。引退会見に臨んだ福島は「たくさんの方々のおかげで、いろいろなことに挑戦することができた。その経験は私の中で財産で、幸せな競技人生だった」と、すっきりとした笑顔を浮かべた。
近年は思うような結果を出せずにもがき続けた。若手や子どもたちから尊敬される存在となったが「当時は自分自身のことで、いっぱいいっぱい。今の私を見てほしい、何かを感じてほしいという気持ちでやってきたことはない」と、孤独との戦いを吐露した。
東京五輪出場を逃した昨年9月の全日本実業団対抗選手権。「引退を決めてしまうと、やはり寂しいという気持ちがあふれてしまってレースにならなくなる」と勝負に集中したが、100メートル予選で12秒11。A決勝進出を逃し、「本当にやり切った。達成感はそこまでないけど、解放感は少しあるかな」。人生の半分以上を過ごしてきた勝負の世界に別れを告げる決断を自らに下した。
思い出に残っているのは、やはり世界との戦いだ。「一番印象に残っているのは、初めての(08年)北京五輪。私の原点になっている」。そこから数々の記録を塗り替えると、15年の北京世界陸上100メートルでは悪条件の中、11秒23で準決勝に進出。「世界と戦えた、目指していた走りができたレース」。翌年、3度目の五輪では100メートルは欠場、200メートルは予選敗退も「体的には充実していた」と納得のシーズンだった。
引退後は「速く走るために全てを急いでやってきたので、ゆっくり動きながら、のんびりしたい」。100分の1秒を争う世界から離れ、同社アンバサダーとしての活動に取り組む。「たくさんの子どもたちに、陸上を通じて、走ることの楽しみや挑戦することの大切さを伝えていきたい」。自らの経験を次世代に伝え、確実にバトンを渡す。
■プロフィール
福島 千里(ふくしま・ちさと) 1988年(昭和63年)6月27日、幕別町生まれ。小学4年で陸上を始め、帯南商高3年時のインターハイ100メートルで2位。卒業後の2007年から道ハイテクACに加入。18年1月にセイコー入社。日本選手権は100メートルと200メートルをそれぞれ8度制した。五輪は08年の北京、12年のロンドン、16年のリオと3大会連続出場。女子100メートル(11秒21、10年4月)、同200メートル(22秒88、16年6月)の日本記録を持つ。
恩師・中村元監督 二人三脚振り返る
福島の恩師で道ハイテクAC・中村宏之元監督(76)が、ねぎらいの言葉を贈った。帯南商高卒業後の2007年から約10年間、二人三脚で世界と戦ってきた。10日ほど前に直接引退の報告を受けたという。「日本女子を変えた人。目標は10秒台で五輪を走るということだったと思うので、そこは私の指導力不足。彼女は思いっきりやったから悔いはないと思う。本当にお疲れさまでしたと言いたい」と話した。