陵侑 長野以来24年ぶりジャンプ金 師・葛西超えた
■スキージャンプ 男子ノーマルヒル決勝
【張家口(中国)6日=島山知房】日本勢金メダル第1号は世界のKOBAYASHIだ! ノルディックスキージャンプは男子ノーマルヒルが行われ、小林陵侑(25、土屋ホーム)が1回目104・5メートル、2回目99・5メートルの好飛躍を2本揃えて頂点に立った。ジャンプの「金」は1972年札幌五輪70メートル級(現ノーマルヒル)の笠谷幸生、98年長野五輪ラージヒルの船木和喜と団体に続き、24年ぶり4個目となった。
98年の長野大会以来、24年間閉ざされてきた扉をこじ開けた小林陵。「今シーズンは表彰台を争える動きをしていた自信があったので、自分を信じられたことが良かった。(五輪には魔物がいると言われるが)僕が魔物だったのかもしれない」と“陵侑節”をさく裂させた。
1回目でトップに立ち、迎えた2回目。ゲートから目標地点をじっと見つめ、スタートを切った。不利な追い風を受けながらも、K点を悠々越える99・5メートルに着地。金メダルが確定すると、兄の潤志郎ら日本代表メンバーと抱き合った。
優れた運動能力に、葛西紀明(49、土屋ホーム)もほれこんだ天性の技術。周囲から「天才ジャンパー」と称されることも少なくない。ノーマルヒルで7位入賞した18年平昌大会後にW杯初優勝を果たすと、18―19年シーズンには個人総合を制覇。一気に世界トップまで駆け上がってきた。
今では名実ともに日本の絶対的エース。中学時代から「こういう(世界のトップで活躍する)選手になる」と確信していたのは、松尾中で3年間指導した永井陽一さん(40)だ。「バランス能力が飛び抜けていた。今までで一番だし、二度とああいう選手は見られない、というくらい別格」と当時の印象を口にする。
中学3年時、ジャンプと複合で全国2冠を達成。10代の頃から世代のトップを走ってきたが、意外にも中学1、2年時は午前7時15分開始の朝練を半分以上も寝坊で休む“サボり魔”だった。入学からの2年間は「半分くらいしか来なかった」と永井さんは振り返る。
しかし、学年を重ね、全国レベルの大会で上位に食い込むようになると、競技に取り組む姿勢は次第に変化していった。1学年上の先輩から「冬に力を出すには夏の努力が大切なんだ」と尻を叩かれ、最後の1年は休まず朝練に参加。地道な練習を積み重ね、世界に羽ばたく礎を築いた。
2度目の五輪はまだ始まったばかり。きょう7日は新種目の混合団体、12日にはラージヒル、14日は男子団体に出場予定だ。この勢いのまま、個人2冠、4種目でのメダル獲得に向けて突っ走る。
葛西「たまっている涙が全部出た」
「監督の首に金メダルをかける」。9大会連続五輪出場がかなわなかった葛西と交わした約束を胸に、2度目の五輪で快挙を成し遂げた。小林陵は「選手として一緒にはできなかったけど、この時間を一緒に共有できてうれしい」と声を弾ませた。
所属先の監督でもある葛西は、誰もが知るスキージャンプ界のレジェンド。2人の出会いは小林陵が高校生の時だった。札幌・宮の森ジャンプ競技場で飛んでいる姿を葛西が目にし「(W杯歴代最多53勝の)シュリーレンツァウアーに似ている」と将来性を感じた。土屋ホームへの入社オファーを決断し、15年から師弟関係を続けてきた。
テレビ局のコメンテーターとして、現地で快挙を見届けた葛西は「たまっている涙が全部出た。目の前で、まな弟子が金メダルを獲るなんて、幸せ」と涙。「(金メダルを)かけてもらえたら違う涙もあふれそう」と約束実現の日を心待ちにしていた。
潤志郎 弟の偉業に感激
小林潤志郎(30、雪印メグミルク)は27位、佐藤幸椰(26、同)は32位、中村直幹(25、フライングラボラトリー)は38位だった。小林潤は弟の金メダル獲得を「めちゃくちゃうれしかった。ジャンプ界に本当に大きなものをつくってくれた」とたたえ、自身の飛躍には「次に向けて修正したい」と悔しさをにじませた。中村は「これが僕の実力なんだと体感させられた」と素直に振り返った。(共同)