常呂町も沸いた! ロコ5人中3人が出身
日本カーリング界史上初の五輪決勝に臨んだロコ・ソラーレ。惜しくも敗れたが、前回の平昌五輪から、さらに進化して銀メダルを獲得した。メンバー中3人が出身で、現在チームとして練習拠点がある北見市常呂町は快挙に沸いた。大注目の中、世界で堂々と渡り合うヒロインたちに歓喜した。常呂町のカーリングを見つめ、選手育成に尽力してきた日本カーリング協会副会長・松平斉之さん(62)は万感の思いで選手たちをたたえた。
「誇らしい。本当に…。うれしいです」。松平さんはかみしめるように言葉を紡いだ。決勝の夢舞台にロコ・ソラーレは挑んだ。「最後まで戦えた。順番こそ付くが、世界のファイナリストになってくれた。そこに価値があると思います」
競技採用された長野五輪(1998年)以来、常呂町は全ての大会に選手を輩出してきた。カーリングで町おこし―。練習拠点として日夜、メッカで腕を磨いてきたロコ・ソラーレ。前回を上回る色のメダルは、町一丸で支えたバックボーン抜きには語れない。
80年代に愛好者が力を入れ、広がり、88年に前身の「常呂カーリングホール」が誕生。競技の浸透と育成を含め、底辺拡大への速度が加速した。町内のリーグ戦には近隣も含めて40以上のチーム(4部制)が、しのぎを削る。メダリストたちも幼少から親しみ、生涯教育の一環として小学―中学―高校では体育授業にも組み込まれている。指導者の中には町のオリンピアンたちがいる。
屋外シート時代はほうきを片手に降雪から氷を守った。屋内専用ホール建設時には懐疑的なメディアの受け取めもあったが「常呂からオリンピックへ」という熱意がぶれることはなかった。
松平さんはいう。「(ここまで)30年以上…かな。僕が生きているうちに(決勝を)見せてくれて。感慨深いですね」。“わが町の誇り、カーリング”。鬼籍に入った先人も含め、ひたむきに進んできた血脈がいま、銀メダルにつながった。
夢を現実にし、世界の強豪と肩を並べた。「次は男子だね」と松平さん。果てしないオホーツクブルーの空の下、常呂の歩みは止まらない。
家族らが大声援「格好良かった」
初めて銀メダルを獲得したロコ・ソラーレの地元・北見市では20日、チームの拠点である常呂町のカーリング場に住民が集まり、テレビ中継を観戦。頂点には惜しくも届かなかったが、選手の家族は涙ながらに「強くなった」「格好良かったよ」と、ねぎらった。
日本のストーンが得点の入るハウス(円)に近づくと「ナイスショット」「いけるぞ」とスティックバルーンをたたいて興奮。終盤に差を広げられ敗れたが、誇らしげに拍手で健闘をたたえた。
セカンド鈴木夕湖(30)の母倫子さん(62)は「準決勝より表情は硬く、気負いがあった。それでも、地道な努力で日本カーリング界の道を開いた」と満足した表情。吉田知那美(30)、夕梨花(28)姉妹の母富美江さん(62)は「厳しい予選を乗り越え強くなった。お疲れさまと声をかけたい」と、顔を真っ赤にしながら話した。
人口約3500人の常呂町では、地元住民が約40年かけてカーリング普及に努め、五輪2大会連続のメダリスト誕生に結びついた。選手たちを幼少期から知る藤吉忍さん(76)は「(当初は)農家らの娯楽にすぎなかったが、日本中を沸かせるスポーツに育った。立派な戦いを見られて胸いっぱいだ」と声を震わせた。
2010年に元五輪代表の本橋が「LS北見」を結成
チーム青森で五輪2大会出場の本橋が故郷の北見市で競技を続けられるように2010年8月、「LS北見」を結成。18年8月に本橋を代表理事とした一般社団法人「ロコ・ソラーレ」を設立し、現チーム名となった。16年に女子世界選手権2位、18年平昌冬季五輪銅メダル。
吉田夕と鈴木は創設時から在籍。14年に吉田知、15年に鈴木のはとこである藤沢が加入した。吉田夕が28歳、ほか3人は30歳。吉田姉妹と鈴木は常呂中時代も同じチームでプレー。20年から五輪2大会出場の石崎がリザーブとして加わった。