スキージャンプ 大貴 国内有終V
■伊藤杯シーズンファイナル大倉山ナイタージャンプ(19日、札幌・大倉山ジャンプ競技場)
ノルディックスキージャンプで五輪に5度出場した伊東大貴(36、雪印メグミルク)が19日、札幌市内のホテルで現役引退会見を行った。夜に行われた国内最終戦の伊藤杯で優勝。25日から行われるW杯スロベニア大会を最後に競技生活を終え、来季から所属先のコーチとして後進を指導する。
W杯初勝利の思い出の地、大倉山で有終の美を飾った。最後の国内戦で2位に11.6点差をつけて圧勝した伊東。セレモニーでは後輩たちに見送られ、「こんなことあっていいのかな。この上ない国内締めができた」と充実の表情で振り返った。
10代の頃から将来を嘱望される存在だった。2002年世界ジュニア選手権で銀メダルを獲得。同年に高校1年生ながらW杯デビューすると12年に札幌大会で2連勝し、11―12年シーズンで4勝。ソチ五輪では団体で銅メダル獲得に貢献した。
長年、第一線で活躍した。順風満帆に見えたが、けがと向き合う競技人生でもあった。年齢とともに故障が増え、18年平昌五輪後に一時は引退を考えた。それでも「一年一年、気持ちを奮い立たせてやってきた」。北京五輪では5度目の代表に入ったものの、出番は訪れなかった。「本当にもう限界だな」と、大会後に引退を決断した。
来週末のW杯最終戦が現役最後の大会。来季はコーチに就任し、原田雅彦総監督(53)、岡部孝信監督(51)らと次世代を担う選手を育成する。「自分が経験したことは100%以上還元したい。明るいニュースを世の中に届けられるような指導者になりたい」。ジャンプ人生の第2章を見据えた。
伊東大貴 一問一答
ー一番印象に残っている試合は
「大倉山でのW杯初優勝の大会。ようやく、少しは自分を支えてくれたみんなに結果という形で恩返しできた」
ースキージャンプはどのような存在だったか
「相方のような存在。四六時中ジャンプのことを考えて過ごしていたので、人生にとって相方の一つ」
ー日本男子陣を引っ張ってきた葛西選手の存在は大きかったか
「間違いなく大きかった。葛西先輩がいなかったら自分はここにいないかもしれない。たくさんいろんな経験をさせてもらった、感謝したい」
ー五輪メダリストとして子どもたちに伝えたいこと
「何か一生懸命になれるものを見つけられる環境を与えてあげたい。そんなスキージャンプ界にしたいという野望はある」
■プロフィール
伊東 大貴 (いとう・だいき) 1985年12月27日生まれ、下川町出身。下川商高から2009年に雪印乳業(現・雪印メグミルク)入社。W杯は05年のオーストリア大会で初めて表彰台に上がり、12年の札幌大会で初優勝。13年世界選手権では混合団体で優勝した。五輪は06年トリノ大会から5大会連続で代表入り。14年ソチ大会団体で銅メダル獲得に貢献した。W杯通算4勝。