コンサドーレ
札幌2代目監督フェルナンデス氏が死去 97年JFL優勝Jリーグ昇格に導く
北海道コンサドーレ札幌は2日、1997、98年と札幌の指揮を執ったウーゴ・フェルナンデス氏がメキシコ・プエブラで死去したと発表した。享年77。死因は不明だが、元関係者の話によると老衰だという。
「チームはファミリー」闘志押し出したサッカーで圧倒
元ウルグアイ代表DFで「闘将」と言われたフェルナンデス氏は97年、当時JFLだった札幌の監督に就任。「チームはファミリー」を標榜(ひょうぼう)し一体感を作り上げ、MFウーゴ・マラドーナ(享年52)、FWバルデスのホットラインを中心に闘志を前面に出すサッカーを展開し、リーグ戦26勝4敗という圧倒的な成績で、クラブ創設2年目のJリーグ(現J1)昇格に導いた。残り2分で2点差を追いつきVゴール勝ちした伝説の川崎F戦は、今でも語り草だ。
また、ナビスコ杯(現・ルヴァン杯)でも、Jリーグ勢と互角以上の戦いを演じ、ベスト8に進出した。
Jリーグに昇格した98年は戦力差で苦戦が続き、前期は4勝13敗で16位、後期は5勝6敗と巻き返しの最中、10月にフロントや代理人との金銭トラブルもあり解任された。しかし、2000年には日韓W杯の合宿地誘致に動いた栗山町のアドバイザーに就任するなど、北海道との関係は続いた。その後はプエブラを率いるなどメキシコで活動していた。