コンサドーレ
【96~98年担当記者】「ファミリー」に見せた優しい笑顔【フェルナンデス氏を悼む】
入院中、花束携え見舞いに現れた
闘将の訃報を聞き、25年前の情景がよみがえった。「チームはファミリー」を合言葉に、眼光鋭く、熱く厳しく指導する指揮官だった。そしてクラブを取材するメディアも「ファミリー」の一員であり、その存在を大切にしていた。
1997年6月のあるオフの日、報道陣と、クラブ関係者の交流試合が当時練習会場だった栗山町で催された。猛練習を積んで当日を迎えた私は試合開始直前、ポジションに就こうとした時に左足アキレス腱(けん)を断裂した。
チーム担当医のいる札幌市内の病院に即行入院。翌日手術を受け、リハビリ生活に突入した。そこへ前触れなく、フェルナンデス監督と当時のコーチ2人、通訳さんが真っ赤なバラの花束を携えて病室に入ってきた。
「お見舞いが遅れて申し訳ない。ファミリーの一員がけがをしたとあっては、一大事だからね」とスペイン語で話し、通訳さんが訳してくれた。同部屋の高齢女性陣は、まるで映画から出てきたようなダンディーで国際的な集団に目を白黒させた。
少し恥ずかしいけど、懐かしい思い出。取材現場に復帰してからも、心配して「大丈夫?」と声をかけてくれた。選手に見せる厳しさとは対照的な、優しい笑顔に改めて、グラシアス(ありがとう)。
(96~98年コンサドーレ担当・木村理恵子)