コンサドーレの生みの親 石水勲氏逝く
北海道コンサドーレ札幌の創設を主導した株式会社コンサドーレ最高顧問(石屋製菓株式会社名誉会長)の石水勲氏が26日、死去した。77歳だった。「コンサ」を北の大地に根付かせ、内外からクラブを支え続けた生みの親が逝った。オフが明け、練習が再開された29日には札幌・宮の沢の練習場に半旗が掲げられた。
北海道に初のプロスポーツチームを誕生させ、サッカーのある日常を根付かせた石水さん。石屋製菓では「白い恋人」を大ヒットさせるなど社業発展にまい進するとともに、コンサドーレの創設にも尽力。長くメインスポンサーとして、深い愛情を注ぎ込んだ。クラブ最大の功労者が、惜しまれながらこの世を去った。
2013年にクラブOBの野々村芳和氏(49)を社長を抜てきしたのも、石水さんだった。野々村社長はクラブを通じ「僕に社長としてコンサドーレに関わる機会を与えてくれた。勝ち負けで一喜一憂する中でも、心を落ち着けて少し長いスパンで考えることができ、ビジョンの重要さに気づかせてくれた」などとコメントした。
三上大勝GM(50)は「生前、会長からは三つのことを言われていた」と振り返る。「北海道の多くの人に愛され、J1でしっかり戦い続け、そして時々、タイトルを取れるようなクラブになること」だという。「多くの人に支えられながら、二つは少しずつ達成できているが、タイトル獲得をお見せできなかったのが残念」と別れを惜しんだ。
半旗が掲げられた練習場で、選手たちは黙々と次節への準備を進めた。10月2日のアウェー・G大阪戦は、喪章をつけて臨むことが決まった。(石栗賢)
宮沢主将 感謝と決意
○…札幌一筋14年目。クラブ歴代最長在籍年数を誇るMF宮沢裕樹主将=写真=は「今このエンブレムをつけて幸せにサッカーができているのも、石水さんが尽力されたから」と感謝した。「これからできる恩返しはピッチで躍動し、見ている方に影響を与えられるプレーを続けること」と決意表明。2戦連続完封負けを喫しているが、G大阪戦へ向け「自分たちのサッカーに自信を持って次の試合もやりたい」と気合を入れ直した。
〈悼む〉世界一札幌を愛したきさくな紳士
心にポッカリと穴が空いた。世界一、コンサドーレを愛する「石さん」が、鬼籍に入るなんて。
自分がコンサドーレ担当だった2001年から約4年、記者として成長させていただいた。道内プロサッカーの生みの親とも言える重鎮だが、ひとことで言えば「気さくな紳士」。だからこそ、目上の人との接し方も自然に教えられた。
今だから言えるが、深夜近くにご自宅にアポなし取材を仕掛けたこともあった。しそ焼酎を手土産に、何度かお邪魔をさせていただいた。非常に迷惑な訪問者であるが「お、どうした」と居間へと招いてくれた。
「一生懸命やっているやつには話すんや」。ある取材をした際だった。しつこくコメントを迫る自分に対し、真顔で言っていただいた。自分にとっては最高の叱咤(しった)激励に聞こえた。
石水氏の車を追跡し、スタンドで“裏取り”取材をしたこともあった。何度か食事にも誘っていただいた。2人で串カツをほおばったことは、忘れられない。ただ、いま口にする「白い恋人」は、ほろ苦い味だろう。
合掌…。(2001~04年コンサドーレ担当 松木純)