《10・20 指名待つ道産子》①菊地吏玖投手(専大ー札大谷高)後編
この記事は後編です(前編はこちらから)
「大学4年生で活躍できればドラフトにかかる」
専大入学直後、将来へ向けて長期計画を立てた。「大学野球を4年生で活躍できればドラフトにかかる」と明確なゴールを設定。1、2年生は体づくりに精を出した。高校まで苦手だった筋トレにもまじめに取り組んだ。2年間で体重は5キロ増。土台ができあがり始めた。
デビューは思ったよりも早く訪れた。2年秋のリーグ戦でデビューすると、いきなり3勝を挙げた。「それまでは、自分が本当にプロになれるのかな、と不安な要素しかなかった。リーグ戦に登板して、1シーズン投げ抜くことができた。最優秀防御率という結果もついてきた」と、手応えをつかんだ。さらに、当時4年の佐藤奨真(24、ロッテ)から「おまえ、プロ目指せよ」と、ハッパをかけられ、本気で国内最高峰の舞台を目指すきっかけをつかんだ。
一球の怖さを知った3年春
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節目の試合は3年春のリーグ戦。優勝のかかった日大との最終節で第1戦に先発。ところが、0―0の九回1死から本塁打を浴び敗戦。第2戦でも1点リードの九回1死満塁、押し出し死球で引き分けに終わり、勝率で優勝を逃した。「一球の怖さを知った。本当にあとちょっとの集中力、最後まで突き詰める大切さを意識させられた試合。そこから変わった」。妥協を許さず、自らを追い込み、練習に励んだ。
まじめに取り組んだ筋トレのおかげで、4年間で体重は11キロ増の94キロ。150キロ超えの直球に目を奪われがちだが「真っすぐでカウントを取ったり、ファウルを打たせる。また、スライダーでカウントを整えることもできるようになった。最近はフォークがだんだんいい落ち方になってきている」と、しっかりとした土台から、精度の高い投球を繰り出す。
侍ジャパンで身につけた対応能力
7月には侍ジャパンの「ハーレムベースボールウイーク」に帯同。初めて日の丸を背負い、3試合に登板し1勝を挙げた。「向こう(海外)の選手はバットを振る力が日本の選手とはレベルが違う。走者が出てからは、チャンスで1本出そうという集中力もすごい。そういう中で、どう相手に点数をやらずに、切り抜けるか。そういう能力が、よりついたのかな」と、国際大会での貴重な経験を成長の糧にする。
プロで勝負したい選手には、即答で巨人の通算31勝の戸郷翔征投手(22)の名前を挙げた。「同い年。高卒2年目から巨人でローテーションを張りながら、投げている。すごいなと思って見ている。そういう選手と投げ合ってみたい。打者では、ソフトバンクの柳田選手とか、ヤクルトの村上選手みたいに、どういう球でもヒットにしてしまう選手に、自分がどのぐらい通用するのか、とみることもできる。最悪、打たれたとしても、ちょっと自慢になるかなと(笑)。それぐらい悔いのないように全力で勝負したいな」と、プロのマウンドでの自分を思い描く。
「僕に憧れて札幌大谷に行く選手が増えてくれば」
菊地が引退した高校3年の秋、新チームの後輩たちが全道大会で初優勝。明治神宮大会では初陣日本一に輝いた。2年前には2学年後輩の阿部剣友投手(20)が同校初のプロ野球選手として育成で巨人入り。当時2人はとも地方出身者で寮生活。短い期間ではあったが、寝食を共にしてグラウンドで汗を流した。さらに、8月には夏の甲子園にも初出場した。「札幌大谷の名前をどんどん売り出していきたい。今年の夏に甲子園にいったので、知名度的には、十分知れ渡ったのかもしれないですが、甲子園だけじゃなくて、プロにいける選手も出てくるんだよって、ところも見せられたらいい。僕に憧れて札幌大谷に行くっていう選手が増えてくれば」。自らの活躍で最高の恩返しをするつもりだ。
専大は現在勝ち点4で単独首位。ドラフト直後の22日から2位・東洋大との最終節が控えている。「最後の学生野球なので、やり残しはしたくない」。自身初の優勝で締めくくり、思い残すことなく次のステージへと旅立つ。
■プロフィール
菊地 吏玖(きくち・りく) 2000年6月13日、苫小牧市生まれ。苫小牧拓勇小2年で野球を始める。苫青翔中では苫小牧中央BBCでプレー。札大谷では、1年春にエース。3年夏は南大会1回戦で再試合の末に敗退。東都2部の専大に進み2年秋にリーグ戦初登板。3勝して最優秀防御率(0.31)をマーク。4年春にも最優秀防御率(1.20)とベストナインを受賞。今秋はここまで2勝。最速は152キロ、変化球はカーブ、スライダー、フォーク、ツーシーム。183センチ、94キロ。右投げ左打ち。家族は両親と妹。