《10・20 指名待つ道産子》②茨木秀俊投手(帝京長岡高ー札幌手稲中)前編
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MAX147キロ速球&落差あるチェンジアップが武器
新潟に、この夏一躍注目が集まった道産子右腕がいる。第2回は、札幌出身で帝京長岡高のエース・茨木秀俊投手。しなやかなワインドアップモーションから力強いリリースで放たれるMAX147キロの速球と、20キロ以上の球速差があるチェンジアップを武器に、創部36年目で初の県大会決勝に進出。同校初のプロ野球選手誕生に期待が膨らむ。
マウンドではいつもポーカーフェース。だが、胸の内には秘めた思いがある。「夏の大会を通じて、自分の力を発揮できた」と、大会後にプロ志望届を提出。12球団から調査書が届いた18歳は「楽しみが一番大きい。150キロは出したいですけど、質が大事。どんな場面でも0に押さえて、勝てる投手を目指していきたい」と、冷静に言葉を選びながらも、力を込めた。
札幌東シニアで全国優勝 元日本ハム芝草監督の就任知り新潟へ
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札幌東シニアでは2年夏に林和男杯国際野球大会で初優勝に貢献。翌春はエースとして春の全国選抜大会にも出場した。高谷博志監督(54)は「高校3年生でピークを持ってくるように土台作りをしていた。非常に探究心が強かった」と振り返る。
高校の進路決定は、元日本ハムの芝草宇宙氏(53)の監督就任が大きく影響した。1度、体験会に参加。「プロに行くためには、自分にあった環境でやるのが一番」と、親元を離れる決心をした。母・豊味さん(50)はプロ志望届を提出した息子を「いばらの道を選んだなと思います。本人がやりたいと言ったことなので見守るしかない」と、全面的に受け入れ応援している。
茨木の投球を支える強靱(きょうじん)な下半身。62センチの太もも裏は筋肉で大きく盛り上がっている。体重は2年半で10キロ増。「下半身から体幹でうまく回転して、ボールに力が伝わっていくという感じ」。打者に踏み込む時に、左の尻から始動したり、グラブの使い方を修正して体の開きを抑えたりと改良を重ね、120キロ台後半だった直球は夏の新潟県大会準々決勝で自己最速の147キロをマークするまでに成長した。
慣れない暑さや親元離れた不安 静内出身の幌村と励まし合った
ただ、入学当初は北海道では経験したことのない蒸し暑さに苦しんだ。「体重も落ちて思うように体が動かせなくなったりした」。親元を離れた生活は不安でいっぱいだったが、静内出身の同級生・幌村黛汰中堅手の存在が大きかった。「最初の方は心細かったけど、幌村がいて、心強いというか、心細さは消えた」と、互いに励まし合いながら甲子園出場を目指した。
直球の威力もさることながら、一番の武器は小野寺翔コーチが「プロでも通用する決め球。魔球」と呼ぶチェンジアップだ。入学当初は落差がなかったが、腕の振りが緩まず打者のタイミングを外すことができた。そこからキレや落差を増すために、試行錯誤。茨木は「低めに決まることが一番。試していくにつれて、コツだったり投げ方を発見した。今はとても自信があります」と、胸を張った。
■プロフィール 茨木 秀俊(いばらぎ・ひでとし) 2004年6月8日、札幌市生まれ。札幌手稲中央小2年の秋に手稲ヤングスターズで野球を始める。同6年の時に全国大会出場。手稲中時代に所属した札幌東シニアでは2年夏の林和男杯で全国優勝。3年春の全国選抜大会に出場。新潟・帝京長岡では1年夏に初登板。2年春から背番号1。今夏の新潟県大会で準優勝。182センチ、85キロ。右投げ右打ち。最速147キロ。変化球はスライダー、カーブ、チェンジアップ、ツーシーム。家族は両親と、弟・佑太(帝京長岡高1年)。