高校野球
2022/12/08 05:00

今夏の甲子園出場 旭川大高・山保が国学院大に合格

東都1部の国学院大への推薦入学が決まった、旭川大高の山保亮太

夢は楽天・マー君のような「絶対的エース」

 4年後のプロ入りを目指す―。高校野球で今夏の甲子園大会に出場した旭川大高の投手兼主軸の山保亮太(18)が7日、11月の明治神宮大会で準優勝した東都1部リーグの国学院大にスポーツ推薦で合格した。

 雪が降り積もった旭川。東都の名門校で腕を磨くことになった山保は、「素直にうれしい気持ちで一杯。『絶対的エース』って言葉がすごく好き。楽天が優勝した時の絶対的エース・田中将大投手。そんな選手になりたい」と、夢を語った。

大学野球の〝聖地〟に感激「甲子園に入った時と同じ感覚」

 大学野球の〝聖地〟で心が高鳴った。11月、受験のために上京すると、すぐに明治神宮大会「明大―上武大」観戦のために球場へ直行。最寄り駅の外苑前の駅を降りた瞬間「鳥肌がすごく立ちました」。さらに、スタジアムに一歩、踏み入れると、「何かもう甲子園に入った時とかと同じような感覚になって。ここでプレーしたら、自分が今思ってる以上のプレーできるなとか、いろいろなことを想像しながらワクワクしてました」と、来春から目指す舞台の訪問を興奮気味に振り返った。

 夏の甲子園出場で、自らの目指す道が定まった。高校3年春まで甲子園の出場はなし。当初は道内の私大へ進学するつもりだった。ところが、夏の旭川支部予選のころ、184センチ、81キロの恵まれた素材に、国学院大が注目した。「東都の大学はレベルが高いってことは知っていて、その中で常に上位にいる大学。ヤクルトの清水投手も、国学院出身。声をかけられた時は、とてもうれしかった」と、進路は早々に定まった。さらに北大会を勝ち抜くにつれ、「自分の野球のレベルは高くなくても、こういう大舞台で力を発揮できる。他の選手よりもメンタルは絶対に強いと思うので、このままくじけずにやれば、最後までやり続けられる、っていう自信ができました」。それからプロ入りを本気で志すようになった。

大阪桐蔭の高い壁痛感「この選手たちを超えないと」

 甲子園では、優勝候補の筆頭、大阪桐蔭と1回戦で対戦。五回までリードしたが逆転負けを喫した。「5番・左翼」で先発した山保は、七回のピンチでマウンドにも上がり、2回2失点。「言葉では言い表せないくらい、(大阪桐蔭は)レベルが高かった。それでもプロ野球選手になったのは1人。やっぱり、この選手たちを超えないといけない。この高い壁を超えるために、これから頑張っていきたい気持ちがすごく強くなりました」と、強豪校との敗戦を機に、逆に闘争心に火が付いた。

 最速は143キロ、高校通算5本塁打。国学院大では、投手と野手の二刀流への挑戦も持ち上がったが、当面は投手に専念する。「今のままだと絶対に東都、大学野球の選手のバッターは絶対抑えられない。まず、ストレートを中心にアウトコース低めや、インコースにしっかり投げ分けられる制球力と球の強さを磨いていきたい。150キロは出したい」と、自らにノルマを課した。

11年石巻での被災から「いろんな部分で強くなった」

 日本製紙に務める父の転勤で、幼少期を石巻で過ごした。2011年3月の東日本大震災で被災。山保家は奇跡的に難を逃れたが、直後は避難所を転々とした。当時、通っていた幼稚園のバスが津波の被害を受けたことを知ったのは、旭川に移ってからのことだった。「同じ社宅に住んでいた一番、仲の良い女の子が亡くなった。本当に現実か全然わからなくて、年齢を重ねるごとに、ふっと思い出して、大変なことだったんだなと振り返る。自分も1秒とか2秒遅れていたら、本当にこの世からいなくなっていたかもしれないって考えた時に、命の大切さというか、そういう思いはたぶん一番、自分が知っている。そういうところを大切に心掛けてから、本当にいろんな部分で強くなりました」。いろいろな思いを背負いながら、これからも生きていく。

 広島の持丸泰輝(21、旭川大高出)、日本ハム・松浦慶斗(19、大阪桐蔭高出)、ロッテ・田中楓基(19、旭川実業高出)の父は、日本製紙旭川工場に勤めている。山保も石巻時代には、社宅が一緒だった松浦と近所でキャッチボールをして育った。さらに今年のドラフトでは、道内から広島1位の斉藤優汰ら、4人の高校生投手が一足先にプロ入りする。山保も「その一員に加わりたい」と、身近な存在に刺激を受けている。

持ち前の「熱量」で運命切り開く

 好きな言葉は「熱量」。高校2年生ころには道外の大学進学も考えたが、経済的理由もあって、いったんは進路を断念した経緯がある。ただ、「甲子園に出たいっていう気持ちが入った時に、一番熱が入った。将来のことも考えつつ、甲子園に出たいっていう気持ちが交じり合った時に、一番野球の実力が伸びた」と、これまでも自分の力で運命の道を切り開いてきた。4年後、再びプロ入りという運命を、自らたぐり寄せてみせる。


■プロフィール 山保亮太(さんぽ・りょうた) 2004年6月11日、旭川市生まれ。旭川・西御料地小1年で野球を始める。旭川緑が丘中では、旭川北稜シニアでプレー。旭川大高では2年生の秋に10番でベンチ入り。昨秋、今春は支部予選敗退。夏は選抜出場のクラークを準決勝で下して3年ぶりに優勝。右投げ右打ち。家族は両親と兄と妹。

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