元日本ハムで日鉄室蘭シャークスの瀬川が現役引退
指導者として第2の人生を
日本製鉄室蘭シャークスの瀬川隼郎投手(36)が、今季限りで現役を引退した。2015年から日本ハムでもプレーした左腕は、17年に戦力外通告を受けると、古巣に戻り、19年からは投手兼投手コーチとしてチームを支えてきた。これからは指導者として第2の人生を歩む。
かつてのオールドルーキーが、現役生活に幕を下ろした。北海高―室蘭シャークス―日本ハム―日本製鉄室蘭シャークスと、北海道野球界をけん引。しかし「純粋に球自体の衰えだったりとか、(打者に)嫌がられるボールではなくなってしまった」と感じることが多くなり、近年は現役を退くタイミングを探っていた。
「結果がついてこないっていうのも個人的にあったし、自分が投げるよりは若いやつにどんどんチャンス与えていた方が、チームのためになるかなっていうのは常に考えていた」
「(コーチ業と)両立する時間が難しかった」
また、コーチ兼任でコンディションを維持する難しさにも直面。「姿でも見せなきゃいけない部分も多くなりますし、責任も今まで以上にかかってくる。でも自分のことだけではなくて、チームのピッチャー陣を見なきゃいけない。両立する時間が難しかった」と4年間のコーチ兼任だった日々を振り返った。
アマチュア球界における鉄腕だった。「長期離脱っていうのは、本当になかった。怪我に苦しんだ記憶はないですね」と笑うほど頑丈で、冬場でも100球、200球を投げ込むことはざらにあった。室蘭シャークスで主戦投手を担っていた時は、大会中の連投も辞さず、チームを背負って左腕を振り続けた。
2015年、日本ハム入団「いろいろな知識吸収できた」
そして、28歳の時にドラフト指名を受け、15年からの3年間はプロ野球を舞台に戦った。1軍では通算10試合登板にとどまったが、大谷(エンゼルス)などの超一流選手たちと過ごした時間は大きな財産。「いろんな知識を吸収できた時期でもあった。あとはレベル高いところでできたことも、自分の経験になったので、それをチームに少しでも還元できることには繋がっているかな」と瀬川。
野球人生で一番の思い出は、室蘭シャークスを押し上げられたことだ。「プロに行く前の社会人時代の方が印象深い。なかなか全国に行けなかったチームを、自分が先発して完投して、全国に行く試合に投げられた」と胸を張る。先発完投し、何度もチームを勝利に導いた。
「最後に粘れる、勝ち切れる投手を作り上げていけたら」
すでに第2の野球人生は始まっている。現在の練習メニューも「きつくしています」とニヤリ。「ただ勝つだけじゃなくて、投手力で勝てたらいいなっていうのはある。全国でもいいピッチャーがいれば、いいゲームになる。最後に粘れる、勝ち切れる投手を作り上げていけたら」。慣れ親しんだ室蘭の地で、投手育成に尽力する。
■プロフィール
瀬川 隼郎 (せがわ・はやお) 1986年10年21日、札幌市生まれ。札幌ひばりケ丘小4年時に野球を始め、札幌もみじ台中時代は札幌白石シニアに所属。北海高では1年秋からエースとなったが、甲子園出場はなし。2005年に室蘭シャークス入り。14年ドラフト会議で日本ハムから5位指名を受け入団。17年オフに戦力外通告を受け、古巣・室蘭シャークスに復帰。3年間のプロ通算成績は全て中継ぎで10試合に登板し、0勝0敗。防御率3.09。178センチ、82キロ。左投げ左打ち。家族は妻と3男。