連載「FtoF」②弁護士を目指す宮台康平さん
東大法学部から初のプロ入りも自ら引退を決断
日本ハム(〝F〟IGHTERS)に在籍した元プロ野球選手に、未来(〝F〟UTURE)への展望を聞く連載「FtoF」。第2回は今季限りで現役引退し、弁護士を目指す宮台康平さん(27)が登場。17年のドラフトで7位指名を受け、東大から史上6人目のプロ野球選手として日本ハムに入団し、21年からヤクルトでプレー。第2の人生を踏み出したサウスポーが、異例の決断に至った真相を明かした。
突然の引退発表だった。10月下旬、宮台さんは自らユニホームを脱ぐことを決めた。その時の経緯を申し訳なさそうに語り始めた。
「自分で自分に対して戦力外通告を出しました。格好良く言えばですよ。(ヤクルト球団からは)来年も契約あるよと言われていましたが、僕から現役を引退したい、戦力外通告にしてほしいとお願いしました。誤解を招く辞め方で、申し訳ないなと思っています」
東大法学部から初のプロ入り。期待に胸を膨らませて飛び込んだが、『1軍の壁』は高かった。日本ハムでは1年目の18年に1試合に先発登板して以降1軍での登板はなく、20年に戦力外通告を受けて退団。合同トライアウトの末に21年からヤクルトに入団したが、計5年間で3試合の登板にとどまった。
やりきったプロ野球人生「決断に対しての後悔はない」
「引退の明確な理由はないのですが、やりきったという気持ちです。実力を出し切りましたし、それでも通用しなかった。これは次のステージに行くべきだなと思いました。後悔はめちゃめちゃあります。どちらかといえば、5年間やって通用しなかった悔しさがある。でも、決断に対しての後悔ではないです」
続く2軍生活。情熱を持って野球と向き合う一方で、どこか冷静な自分もいた。27歳という年齢は、プロ野球界では若くない。チャンスの回数、自分の立ち位置を考えた時に、選手として引き際だと悟った。引退直後は民間企業への就職も考えた。さまざまな職種に就く知人の話を聞いて回り、自分らしさを生かす、やりがいのある仕事を見つけることができた。
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次に選んだのは法曹界 東大では法律全般を学んだ
「弁護士が一番魅力的で、チャレンジングだと思いました。自由度が高い自由業。しっかり資格を持って、働けるのは魅力だと思いました。弁護士になった先輩、後輩もいるので、親近感もありました」
大学では法律全般を幅広くを学び、法曹界に興味があった。日本ハムの勇翔寮に入寮した時には、「僕のアイデンティティーなので」と愛用する六法全書のコンパクト版『ポケット六法』を持参。プロ野球選手から弁護士へ、日本では前例がない転身というのも決め手となった。
「甘美な響き。自分のオリジナリティーを出せるかなと思いました。弁護士になりたいから、引退を決めたわけではない。だけど、自分の色を出せるかなと考えました。当時『ポケット六法』を持って行ったのは思いつき。このタイミングで新しいものを買うことになると思います」
プロ野球界との関わりにも興味
今後は法律事務所に所属しながら、司法試験を受験するため、予備試験合格か、法科大学院卒業を目指すことになる。弁護士になった暁には、選手の代理人としてプロ野球界と関わりを持つこともあるかもしれない。
「どういう形で関わるか確定はしてないし、明確ではないですが、代理人は分かりやすいケースだと思います。変わっていく社会の中で、求められるものも変わっていくと思う。法律、ルールというものに軸足を置いて、(野球界に)関われればいいと思いました」
日本の最高学府から、日本野球の最高峰NPBを経験。これから始まる勉強漬けの日々に、東大に現役で合格した宮台さんはどこか楽しそうだ。
新たなるチャレンジ 「大変と分かった上で飛び込んでいる」
「大変だと分かった上で飛び込んでいる。でも、10年前もやっていましたから。(勉強に)親しみがあるわけですから。懐かしいなこの感覚みたいな。年明けからはフルパワー、フルコミットします」
野球に打ち込んだ5年間は、決して遠回りではない。新たな挑戦をスタートさせた〝東大左腕〟の声は弾んでいた。