【金子千尋引退会見 一問一答】18年のプロ野球人生「まさか長い間できるとは」
ファンにコーチにトレーナーに、そして両親にも何度も感謝
―(会見冒頭で自ら切り出し)
「今シーズンをもちまして現役を引退することに決めました。2005年からオリックスバファローズに入団し、プロ野球生活がスタートして18年間。入団した時はまさか僕が長い間、プロで野球ができるとは思っていませんでした。オリックスで14年、ファイターズで4年間。順風満帆と言える成績ではなかったかもしれませんが、入団した時の自分を考えると、よくやったのではないかなと今あらためて思います。僕を取ってくれたオリックスには本当に感謝しています。ケガをしながらも取っていただき、入団1年目は1軍で投げることさえできず、申し訳なく思っています。成績が出ない中でも信じて使ってくれた監督、コーチの方々には本当に感謝しています。僕のプロ野球人生では9人の監督の下で野球をやらせていただいた。それぞれ肉体的にも精神的にも成長できたと思います。その時、その時で厳しさだったり、自分がチームを引っ張らないといけない状況においてくれた数々の監督に感謝しています。そして、僕の体をケアしてくれたトレーナー、強化してくれたトレーニングコーチの力をなくして18年間、投げ続けることはできなかったと思います。この場を借りて感謝を伝えます。ありがとうございました。そしてファンの皆さまへも感謝を伝えます。良い時も勝てない時も熱い声援を送り、後押ししてくれたファンの方々。マウンドに向かう時の温かい声援、勝った時、完封した時の熱く大きな歓声は絶対に忘れることはありません。こんな僕を応援していただき、ありがとうございました。続きまして、小学校4年生から野球を始めたのですが、毎週付き合ってくれた両親。僕も親になってから子供を育てる大変さを感じました。その中で僕の野球人生で1番長く応援してくれていたのは両親だと思います。僕を生んでくれて野球をやらせてくれたおかげ。今シーズンで現役は終わりますが、初めて両親に向かって感謝を言いたいと思います。本当にありがとうございました。そして最後にどんな時も僕の味方でいてくれて、つらいこともあったと思います。迷惑もたくさんかけてしまったと思います。それでも温かく家から送り出してくれた家族。その支えがなかったら今の僕はいません。負けて帰ってきた時も明るく迎えてくれたことに本当に助けられてここまでやってこられました。本当にありがとうございます。そしてこれからもより一層、迷惑をかけてしまうかもしれませんが、よろしくお願いします」
現在の心境を吐露 「次のことに向かおうという新たな気持ち」
―18年間お疲れさまでした。引退表明するまでの思い、今の心境
「正直なことを言うと、この会見はしたくなかったです。こればかりはどうしようもないので、少しでも早く皆さんに僕の現状であったり、今後をお伝えしたかった。今、伝えられて若干の安堵はあります」
―シーズンオフから引退の決断に至った理由、タイミングは
「決断したのは2、3日前。(オファーの)お声がなかったので、引退の決断(となった)。シーズンが終わってから戦力外を伝えられ、ある程度の期間はたっている。そういう意味での気持ちの整理というのは徐々にはできていました。今はもう次のことに向かおうという新たな気持ちでいます」
―家族へ一番に伝えたのか
「はい。妻の方に伝えました。他球団からの話がないということになったので、引退しますと。そのままシンプルに伝えました」
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指揮官9人の下でプレー「恵まれているな」
―どんなプロ野球人生だったか
「本当に僕は恵まれているなと思いました。それは9名の監督の下でやれたのもそう。コーチ、トレーナーの方、僕のプロ野球人生で出会った方が1人でも欠けたらここにいない。本当に助けられた」
―オリックスファンも会見を見ている
「オリックスは2年連続で優勝している強いチーム。どう言っていいか難しいところではあるけど、僕がいたころは優勝することができずに、Aクラスも2度だけ。低迷していた時期であったのが正直なところ。その中で熱い応援をしてもらった。若い時にブログで書いたが、応援は戦力だと思っていて、ファンの皆さんの声のおかげで勝てた試合が何試合もあった。僕を育ててくれたのはファンの皆さん。本当に感謝しています」
北海道のファンへ「熱さと温かさを持っている」
―ファイターズ時代を振り返って
「2019年は1軍である程度投げられたが、その後の3年間はファンの期待に応える成績を残すことができなかった。本当に申し訳なく思っています。オリックスファン、ファイターズファンに限らずですが、心残りがないというとうそになる。正直に言うと心残りはあります。5月に1軍で投げた試合が最後。もう1度、1軍で僕が投げる姿を見せたかったのが正直な思い。実力がなかった。ファンの皆さまに申し訳なく思います」
―北海道のファンの存在は
「どのチームのファンの方も熱いものを持っている。熱さと温かさを持っているのが、北海道のファンの方だなと思いました。オリックス時代に札幌ドームで投げた時も思っていた。ファイターズの一員としてマウンドに上がった時も強く感じた。応援を忘れることはないと思います」
印象深い開幕投手 2010年には完封勝利
―18年のプロ人生で印象的な試合、シーンは
「1試合だけ挙げるのは難しい。初登板はやっぱり印象に残っている。2008年の初めて開幕投手を務めた試合。2010年開幕戦の完封勝利。2011年の勝てばクライマックスシリーズに進出できる試合で、僕が投げて負けてしまった。僕は投げていませんが、2014年のソフトバンクとの最終決戦」
―初登板や開幕投手を挙げた理由は
「初球に何を投げたかとか何球投げたかの結果は覚えてないけど、緊張してストライクが入らなかった記憶がある。そういう意味で覚えています。あとは、どちらかと言えば勝った試合よりも負けた試合、悔しかった方が僕は記憶に残りやすい。せっかくなので勝った試合も言わせていただいた」
―ファイターズではオープナー、中継ぎも経験
「初登板の相手がオリックスだったので印象に残っている。僕に勝敗はつかなかったけど、投げづらかったという気持ちもあった。オリックス相手に1試合目を投げられた喜びもあった」
黙々とトレーニング 後輩たちに背中で示した
―18年間貫いたことは
「若い時はそこまで考えていなかったけど、先発投手としてやらないといけない立場になってからは自分の決めたことはやり通した。細かいことだけど、僕は多くを語ってリーダーシップを取ることができるタイプではないので、黙々と練習して、伝わっていなかったかもしれないが、言葉で表すなら背中で語る。そういう練習態度を心がけていた」
―金子を慕う後輩は多い
「僕の練習中の雰囲気を見ると、若い選手は話しかけづらいと言われていた。そんなつもりはなかったけど、何かを聞かれた時は普通にしゃべる。こんな感じでしゃべるんだ? という顔をされる。最近はアドバイスした若い選手が実践してくれて、『これをやったらうまくいった』と言われた時に素直にうれしかった。若い時に言われても何も思わなかったと思うが、多少の気持ちの変化はここ何年かであったのかな、思いました」
後輩たちへアドバイス「ほかの人と同じでは結果はついてこない」
―後輩へのメッセージは
「人それぞれ個性もあり目指すところは違う。全体に言うことは難しいが、結果を残したいと思っているはず。それを実現するには、ほかの人と同じことをやっていては結果はついてこない。自分でしっかり考えて、何をすれば自分は伸びるのか、相手が嫌がるのかを考えること。自分に必要なものが分かってくると思う。考えて行動してほしいと思います」
―ユーチューブでも配信され、多くの人が会見を視聴した
「僕が会見の告知をしてからコメントを見せていただいた。『辞めないでほしい』『引退だけはしないでほしい』と、うれしい言葉をかけていただいた。本当にうれしかった。期待には応えられませんが、今後は違う形で皆さんの前で金子千尋を見せていけたらと思っています。長いような、一瞬だったとも思える18年間でしたが、たくさんの人に支えられてここまで来られました。ありがとうございました」
3ボールからの拍手に「力が湧いてきた」
―北海道に来て良かったことは
「北海道特有の3ボールから拍手が生まれる。それを自分にやってもらった時は本当にうれしかった。また頑張ろうという力が湧いてきた。よい結果は残せなかったですけど、札幌ドームのマウンドで投げられたのは僕の誇り」
―今後は
「今後はファイターズの特命コーチという形でアメリカへコーチ留学に行くことが決まりました」
―いつからアメリカへ
「詳しい日程はこれから。2月のスプリングキャンプに合わせて行くと思う。約半年と言われています」
今後は後進の指導「スケールの大きな選手を育てたい」
―どんなコーチになって選手を育てたい
「アメリカの最先端の技術、動作解析やデータをもとにしたコーチング、トレーニングを勉強したい。僕もまだコーチをしたことがないので、何とも言えませんが、こうすればこの選手は伸びる、ここを直せばもっと良くなる―そんな見る目を付けたい。選手に合ったコーチングが必要になる。根拠がない指導はしないようにしたい。選手の良いものをどんどん伸ばし、スケールの大きな選手を一人でも多く育てることができたら」