連載「FtoF」④〝見逃し三振〟乗り越えプロ初安打 今後は球団職員としてチームを支える片岡奨人さん
日本ハムで3シーズン トライアウト経て現役引退
日本ハム(〝F〟IGHTERS)に在籍した元プロ野球選手に、未来(〝F〟UTURE)への展望を聞く連載「FtoF」。第4回は、2020年から3年間、道産子外野手として奮闘した片岡奨人さん(25)。10月に戦力外通告を受け、トライアウト受験後に現役を引退した。来年からは球団職員となり、選手とは違う角度からチームを支えていく。今季〝見逃し三振〟で2軍落ちした際の心境などを包み隠さず明かした。
プロ初の1軍昇格が一瞬で終わった最後の1年
現役ラストイヤーは激動の日々だった。5月5日にプロ初の1軍昇格。長い2軍生活の末、ようやく手にしたチャンスは一瞬で終わった。同10日、オリックス戦に六回の守備から途中出場するも、七回の打席で山岡のスライダーに手が出ず、見逃し三振。試合後、新庄監督から名指しこそされなかったものの「1軍に残りたいという姿勢が全く見えない。バットを出さない限り一生結果は出ない」と叱責(しっせき)され、翌日には降格が決まった。
「監督から直接は言われていなくて、ネットも見ないので分かっていなかったんですけど、周りにイジられて知りました。(2軍落ちは)振らないからだって。でも僕の中ではそれ以前に、これは(1軍舞台で)やっていけないなって思っていました。何も武器がない。初めて1軍に上がって、あの舞台であのボールを打つのに、2軍でやってきたことはちょっと違って通用しなかった」
「あれがあったからスイッチが変わった」
当初は指揮官からの一喝に落ち込む余裕もないほど、1軍のレベルの高さに打ちのめされた。しかし、強烈な言葉をエネルギーに変え、2軍で奮い立った。再昇格を勝ち取ると8月7日、因縁のオリックス戦でプロ初安打をマーク。今では〝見逃し三振降格〟にも感謝の気持ちでいっぱいだ。
「僕の中でも、あれがあったからスイッチが変わった。何か変えなきゃダメだなって思えた。むしろ(2軍に)落とされたから、プロ初ヒットが打てたと思っている。支えてくれた全ての人のおかげです」
この記事は有料会員限定です。
登録すると続きをお読みいただけます。
2度目の昇格は「誰かにすがりたい気分だった」
実は、2度目の1軍昇格の直後、弱気が顔を出したことがあった。次、また見逃し三振したらどうしよう―。そんな時、頼りにしたのが矢野2軍打撃コーチ(当時)だった。
「1軍でもいけそうってなった時に、逆に落ちた時のあれ(見逃し三振)が頭をよぎってきて。初球を振らないとイメージが悪いかなって、気にはするじゃないですか(笑)。モヤモヤしていたので、誰かにすがりたい気分だった。矢野さんだったら、背中押してくれるかなって」
技術以外の部分で矢野コーチから後押し
新型コロナで首脳陣にも離脱者が出ていた影響で、たまたま矢野コーチも1軍に帯同していた。遠征先のホテルでつかまえると、思いの丈をぶつけた。
「やっぱり振らないといけないけど、別に自分がいきたいボールじゃないのに振ったりとか、腹が決まってないのにいくのはどうなのかという話をしたら、『それはもう自分の人生だから、後悔しないように選ぶべき。おまえがやってきたことは知っているから』って、技術じゃない部分を言っていただいた。そしたら、次の京セラでヒットが打てました。だから矢野さんにはめっちゃ感謝しています」
「頑張ったので、野球に対しての未練はない」
10月3日に戦力外を告げられ、トライアウトも受けたが吉報は届かなかった。それでも、後悔はない。野球界から完全に離れる選択肢もあったが、熟考の末、球団職員として働く未来を選んだ。
「紺田コーチは(トライアウトに向けて)2週間くらいほぼ付きっきりで練習を見てくれた。思い返しても、いろんな人が助けてくれた。頑張ったので、野球に対しての未練はないです」
「僕ができる形で、応援してくれた人に恩返しできれば」
今後の具体的な仕事内容は未定だが、チーム管理部に所属し、選手とは違った形で球団に貢献することを目指していく。
「一気に大ジャンプできるタイプじゃないので、徐々に階段を上がっていかないといけない。プロを経験して、地道にコツコツやることが、昔よりはできるようになった。野球もそうですけど、できないことはできないので、自分ができることをまずやる。僕ができる形で、応援してくれた人に恩返しできればいい」
自分らしく、第二の人生を真っすぐ歩む決意を固めている25歳。若き道産子はグラウンドを離れても、地元チームにとって欠かせない存在になっていくはずだ。