《元赤黒戦士の現在地・DF前貴之》「もう一回、上のカテゴリーで兄弟対決したい」 レノファ山口編
スクール時代からコンサドーレで育った
ジュニアサッカースクール時代からコンサドーレ一筋でプレーし、2012年にはトップチームにまで駆け上がったDF前貴之(29)。途中、カターレ富山への期限付き移籍を挟みながら16年まで札幌でプレーした。17年に山口へ移籍すると、横浜M、松本を経て、22年8月に再び山口へ。今シーズンからはレノファ山口の副キャプテンを務めることになった。
「しゃべったり、盛り上げることはあまり得意ではないので、試合中や練習中にサッカーに対してのアプローチといった役割を、しっかりとこなしていきたい。必要となれば怒ったりという役割も大事だと思うので、チームが勝つためにはそういうところもやっていきたい」と大役に意気込んでいる。
札幌市出身で、同郷のチームメートMF山瀬功治(41)のプレーを少年時代から見ていた。かつてのイメージについて「ドリブルのキレがすごくて、自分でゴリゴリ行って、自分で点を取るみたいな。しかも地元出身で10番を着けていたので、僕の頭の中で印象はすごく残っています」。その山瀬と昨年途中からチームメートになった。「すごい経歴を持っているし、すごいプレーヤーですけど。それ以外にも練習前や練習後のケアだったりとか、自主練習でこれだけ練習するからこそ、この年までできていることを学ばせてもらっていて、僕にとってすごい大きい存在ですね」。プロとしての姿勢を大ベテランの立ち居振る舞いから学んでいる。
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認めてもらうために苦しんだトップチーム時代
2種登録時代の11年から16年まで在籍した札幌時代は「一言で言えば苦しんだ。プロの世界もそうですし、自分のプレーを出すところでは相当苦しみました。認めてもらうために苦しんだ札幌時代ではあったけれど、それがあったからこそ今があるというか、結構余裕が持てるようになっている。札幌時代に関わった先輩方の僕への振る舞い、他の選手への振る舞いだったりをまねするじゃないけど、いいところを今の自分自身に取り入れたりしてやっているので、活躍はしたかったけれど、できなくても今のサッカー人生につながって、いい方向に来ている要因だと思うので良かった」。若い頃の経験が、今の前貴之をつくり上げた。
前が札幌のトップチームに昇格した際、自身を含め5人が同時に昇格を果たした。札幌MF荒野拓馬(29)、J1福岡DF奈良竜樹(29)、関東1部VONDS市原FW榊翔太(29)、現役を引退しコンサドーレ釧路U-12のコーチを務める小山内貴哉(29)だ。5人は今でも連絡を取り合い、年末には必ず会っているそう。「J1に行って札幌と試合をしたいという目標があるので、拓馬とか奈良がJ1でやっているところでは、頑張らなきゃいけないし、いい刺激をもらっています。このまま終われない気持ちはありますし、個人的にも横浜Mに行って試合に出られなかった悔しさもあるので、もう一回はい上がって、上に行って対戦したいなという気持ちがすごいあるので、早く追いつけるように努力します」。同期がJ1で活躍する姿に刺激を受けている。
「刺激し合える一番近い存在」弟は福岡主将のMF前寛之
もう一人、刺激を与えられている選手がいる。弟の福岡MF前寛之(27)だ。「兄弟でありライバルで、刺激し合える一番近い存在。あいつがJ2で戦っている時代は何度か対戦してほとんど勝っていたけど、福岡に移籍してJ1に上がって、今年が3年目。キャプテンもやっていたし、うらやましさもあるし、悔しいっていうのもあるし、頑張ってほしいって気持ち、いろんな気持ちがいっぱいあります。その中で、やっぱりもう一回、上のカテゴリーで兄弟対決をしたい思いがあります」。
「チームとしてトップ6に入る目標がある中で、やはりJ1昇格が一番だと思いますし、個人的には1年間フルでチームの中心となって戦って、自分の色を出すことで、自分自身の価値を高めていきたい」。同期たちや弟とJ1の舞台で戦うため、前が山口の地で奮闘している。
【札幌サポーターへのメッセージ】
お久しぶりです。今はレノファ山口でやっています。いつもコンサドーレの試合は見ていますし、結果が気になっています。自分自身、コンサドーレでは悔しい思いをした中で、またレベルアップしてコンサドーレに戻りたいなと思う一方、自分がはい上がってコンサドーレと対戦したいなっていう思いがあるので、なんとか頑張って早く上がっていきたいなと思いますので、遠く札幌から応援していただけるとうれしいです。札幌出身として常に応援しているので、タイトルを取れるようにコンサドーレの後押しをお願いします。
■プロフィール 前 貴之(まえ・たかゆき) 1993年9月16日生まれ、札幌市出身。ジュニアサッカースクール、札幌U-12、札幌U-15、札幌U-18と幼少期から札幌一筋でプレー。2011年9月24日徳島戦で2種登録選手としてJリーグデビューを果たすと、2012年にトップチームに昇格。同年J1リーグ戦で15試合に出場し、13年からは背番号6を背負った。14年8月にJ2富山へ期限付き移籍し、翌年札幌へ復帰。17年に山口へ期限付き移籍すると、18年は完全移籍に移行。その後、横浜M、松本を経て22年8月に山口へ完全移籍で復帰した。22年シーズンまでのJリーグ通算成績は207試合出場で12得点。172センチ、69キロ。利き足は右。