《元赤黒戦士の現在地・関浩二コーチ》選手、アカデミー指導で共闘した名塚監督と再び レノファ山口編
1998年途中に札幌へ加入し99年まで選手で、その後2002年から15年までユースのコーチとして在籍した関浩二コーチ(50)。雪が降る中でも半袖でプレーし〝熱い男〟としてサポーターから愛されたFWだ。2002年から札幌のアカデミースタッフとして指導者の道を歩み始め、15年まで在籍。その後金沢や讃岐などのコーチを務め、今シーズンからレノファ山口のコーチに就任した。(以下、敬称略)
名塚監督と平塚、札幌でチームメート
名塚善寛監督(53)とは現役時代に平塚(現湘南)と札幌でチームメートとしてプレーし、引退後も札幌のアカデミーでおよそ10年に渡って共に指導を行ってきた。今季、その名塚が率いる山口からのコーチのオファーを受けた。「それはうれしかったですね。ナツさんとは札幌U-15で6~7年間、監督とコーチの間柄でやった仲で、それ以来なのでもう10年ぶりぐらいなんですよ。札幌のとき(の名塚)は守備の構築が得意だったところに、レノファのアタッキングフットボール、前からのプレッシングが加わって、監督としてすごい幅が広がっていて、素晴らしい指導力だなというのを感じています」と、久しぶりの共闘を喜ぶ。
その名塚の人柄については「一言で言えば器の大きい方で、選手をじっくり観察して、僕なんかはいろんなことをしゃべっちゃいそうなんですけど、的を射たことをシンプルに、ポイントも2つ3つと整理して言えるので。こっちに来たときにチームがすごい明るい雰囲気で、選手もそうだし、リーダーであるナツさんが本当に明るく振る舞っているので、たとえつらい練習でも(選手は)前向きに取り組んでいる」と称える。
前貴之、寛之兄弟はジュニアスクールの教え子
札幌のアカデミーで育ってきたMF前貴之(29)は自身の教え子でもある。「彼はジュニアサッカースクールから入っているし、お父さん、お母さんも知っていて、小学生の懇親会でよく一緒にお話したり。弟(前寛之=現福岡)も一緒にやっていたから、よく知っています」。その教え子と、今度はプロの世界でコーチと選手として同じチームで戦う。「最初は久しぶりなので恥ずかしい部分もありましたけど(笑)。彼は器用なところがあり、小学校のときもSB、CB、ボランチ、中盤にFWもできた子でした。今はSBとかをやりながらアンカーもやったり。ポジションが変わったところでも前を向けるようにとか、ちょっとしたポジショニングとか何かアドバイスができれば。彼は止めて蹴るが本当にうまいので、ミドルシュートでも得点に絡んでゴールを決められるように、勝利に貢献できるように頑張っていったらいいんじゃないとは1回伝えました」。
札幌時代について「やっぱり一番悔しい思いをしたのは、(98年12月5日のJ1参入決定戦)室蘭で福岡に負けてJ2に落ちたこと。レンタル移籍で助っ人として行って、落としてしまったことが本当に申し訳ないなというのがあったんですよね。終了後(サポーターに)あいさつをしに行ったときに、本当に温かい声援をくれて。北海道の、コンサドーレのサポーターって本当にいい人たちだなって、強い印象が残っています。あと、いろんなゴールを決めたけど、一番は(99年8月15日J2第21節)厚別で大分とやって、1-2で負けていたけど、(後半44分に)アシスのCKからヘディングで決めて同点に追いついて、延長で逆転勝ちした試合をよく覚えてます」。
トップ6に向けて前向きに明るく指導
「監督が掲げているトップ6に近づけられるように。僕らが『去年16位だから、そんなに簡単にいかないだろう』って言っていたら、選手もそこに近づけられないんで、やっぱり目標に近づくように僕らは導いてあげたい。1日1日トレーニングを必死でやってたら、結果は自ずとついてくるので、トップ6に向けて前向きに明るく指導していきたいと思います」と意気込みを語る。現役時代、アカデミースタッフ時代を共にした指揮官との久しぶりの共闘で、培ってきたその手腕を発揮する。
【札幌サポーターへのメッセージ】
コンサドーレはミシャさんが来て、攻撃的なサッカーで川崎に勝ったりとか、去年の最終戦も清水に負けていたけど、逆転勝ちをするとか。本当に走るし、後ろからビルドアップで可変してボールを運ぶし、見ていて楽しいサッカー。前は堅守速攻でエレベーターチームだったのが、もうガラリと変わって本当に面白いサッカーをしているので、今後も攻撃的なミシャサッカーで、ACL圏内に入れるようなチームになってほしい。やっぱり昔いたチームなので気になって見てます。応援しています。
■プロフィール 関 浩二(せき・こうじ) 1972年6月26日生まれ、東京都出身。1990年に読売サッカークラブ(現東京V)に入団。その後東京ガス(現F東京)、平塚(現湘南)などを経て、98年10月に札幌へ期限付き移籍で加入。99年に完全移籍したが、同年限りで退団。現役引退後の2002年に札幌のジュニアサッカースクールのコーチに就任。その後U-12コーチ、U-15コーチ、U-15監督を務める。16年に金沢のコーチに就任し、讃岐コーチなどを経て、今季から山口のコーチに就任した。現役時代のポジションはFW。Jリーグ通算73試合出場13得点。