《元赤黒戦士の現在地・名塚善寛監督》J1昇格の大チャンス今季にかける レノファ山口編
札幌OB3人で山口を指揮
レノファ山口を率いて3年目の名塚善寛監督(53)。1999年に平塚(現湘南)から札幌へ移籍すると、加入初年度からキャプテンとしてプレーした。2001年シーズン終了後に現役を引退すると、02年から12年まで札幌のアカデミーでコーチや監督を歴任。13年からはトップチームのコーチを務め、14年には監督代行としてリーグ戦2試合で指揮を執った。18年から山口のコーチに就任し、21年9月から監督を務めている。(以下、敬称略)
今シーズン、名塚は新たなコーチとして現役時代共にプレーし、札幌のアカデミーでも一緒に指導していた関浩二(50)を招聘した。「昔から知ってますし、山口のチームのためになると思って呼びました」。これにより山口の指導体制は、名塚監督と中山元気コーチ(41)を含め、全員が札幌OBとなった。
現役時代には新人だったMF山瀬功治(41)と一緒にプレーした経験を持つ。「サッカーに取り組む姿勢は、ルーキー時代と全然変わってないですね。ただやはりプレースタイルは昔ほどドリブラーじゃなくなってますけど、彼は彼なりに年を取った中で考えながらプレーして今のスタイルを築いている。僕は32歳で引退しているので、そこから10年以上もやっていることは本当に信じられないし、そこは本当にリスペクトしています。プレーヤーとして今年も期待してますし、それ以外の部分でも若い選手に影響を与えていると思う。本当に頼もしく思っています」と、なお現役を続けている山瀬への尊敬の念を語った。
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札幌時代の思い出は「雪」
札幌時代の思い出は「雪ですね」とちょっと意外な答え。「J2で優勝してJ1に昇格したのも本当にいい思い出ですけれど、それ以外だと歩くスキーをキャンプ前にやらされたりしました。悪戦苦闘したイメージがあります」。札幌2年目となった2000年シーズンは、オーストラリアでのキャンプの前に札幌市内でフィジカルトレーニングを実施。その一環で歩くスキーが練習メニューに取り入れられた。
リーグ戦6位までにJ1昇格のチャンス
今シーズンの目標については「J1昇格」ときっぱり。「そのためには最低限トップ6に入らないことには目標はかなわない」。24年シーズンからJ1~J3の全てのカテゴリーのチーム数が20チームに統一されることに伴い、今季のJ1昇格枠は3チームとなる。1位・2位が自動昇格となり、3位から6位のチームでプレーオフを実施。昨年まではその勝者にはJ1チームとの入れ替え戦が課されていたが、今季はプレーオフを勝ち抜けばJ1昇格となるため、J2を戦うチームにとっては大きなチャンスとなる1年だ。
かつて赤黒縦じまのユニホームを身にまとっていた5人の男が集結した今季の山口。名塚監督の下、札幌が待つJ1の舞台へ駆け上がるための戦いが始まる。
【札幌サポーターへのメッセージ】
僕自身、札幌には19年という一番長い期間いました。選手時代も含めてお世話になって、その中でもサポーターのみんなの温かい声援は今でも覚えています。なのでコンサドーレのことは今も本当に気にかけています。いつかはもう1回帰って、恩返しをしたいなと思っています。
■プロフィール 名塚 善寛(なつか・よしひろ) 1969年10月7日生まれ、千葉県出身。88年に日本サッカーリーグ1部のフジタ(平塚、現湘南)に入団。平塚がJリーグに昇格した94年にはベストイレブンに選出され、日本代表にも選ばれた。99年に札幌へ加入し、同年と2000年にはキャプテンとしてチームをけん引しJ2優勝、J1昇格へ導く。01年には副キャプテンとして、野々村芳和キャプテン(50、現Jリーグチェアマン)を支えた。同年に現役を引退し、02年から札幌のアカデミースタッフとして指導者の道を歩み始め、U-12コーチ、U-15監督を務めた後、13年にトップチームコーチ就任。14年に監督代行としてリーグ戦2試合で指揮を執った。18年からは山口のコーチを務め、21年9月から山口の監督となった。現役時代のポジションはDF。Jリーグ通算238試合出場11得点。日本代表通算11試合出場1得点。